20191114 忘れてもらえないの歌という舞台

 
 
 

 

ありがたいことに何度か観劇することができたので、人物観を中心に、感想とか疑問点とか印象的なセリフとかをつらつらと書きたいと思います。舞台を観劇していないとなんのこっちゃわからない内容です。

―何を求めて、何にしがみつき、何を手に入れられなかったことで“負けた”と思うのか。
―とびきり不幸な愛の物語。
この公式の言葉から、彼らが一体なにを愛し求めたのかも少し考えたいです。とても長いです。

ストーリー概要
舞台全体に関して
個人に関して
・滝野亘
稲荷義郎
・良仲一矢
・芦実麻子
夜は墨染めに関して
先行トレーラーに関して
その他印象に残った言葉
最後に


 ●ストーリー概要
床屋見習いだった滝野亘は空襲で家と家族を失い、生きていくためにカフェガルボのバーテンだった瀬田(ベース)、そこの常連だった良仲(ピアノ)、稲荷(サックス)、そして英語の歌を歌える売春婦の麻子(ボーカル)、瀬田の連れてきた曽根川(ドラム)とともに、進駐軍相手にジャズを演奏するバンド・東京ワンダフルフライとして生活するようになる。

何年かバンドをするうち、バンド内で方向性の違いが勃発。良仲と言い合いになった曽根川がバンドを去ったのと同じくして、サンフランシスコ講和条約の発効により進駐軍も日本から引き上げる。バンドは流浪の日々となり、ドラムとして川崎が加入。鉄山一家が所有するクラブの雇われバンドに。
皆が音楽で安定した生活を送れるようにとサラリーマンになることを提案する滝野に、音楽は芸術であり金がどうこうというものではない、やりたくもない音楽をやるのは受け入れがたいと、相容れなくなってしまった良仲がバンドを抜ける。

残った面々と元拾い屋のオニヤンマで滝野を社長に会社を作るも、なかなかうまくはいかない。企業コマーシャルソングの歌詞を書いた稲荷がこんなものを書きたいわけじゃないと会社を辞めることを宣言したタイミングで麻子が売春婦であったことが企業に知られ、上がっていたレコード発売の話も取引もすべてご破算。社員たちは全員バラバラに。

数年後、滝野はカフェガルボを買い取りバーテンをしていたが、借金は膨らむばかり。一度は音楽をやめようとギターを売りに行くが、そこでかつてのカフェガルボの歌姫、レディ・カモンテと再会する。「したいようにしろ、信じ続けるしかない」というカモンテの言葉に、再び東京ワンダフルフライのメンバーを探し出しカフェガルボに集めた。
メンバーが揃うなら再結成してもいいという良仲だが、川崎はロカビリー歌手として曽根川のマネジメントのもと、すでに人気歌手となっていた。

川崎を引き戻すことは叶わなかったものの、曽根川からの仕事で、全員で新人歌手のデビュー曲を作ることに。麻子の経験の語りを稲荷が歌詞にし、良仲がイメージからコードを指定。滝野がそれを弾きながら良仲がメロディーをつけ「夜は墨染め」を完成させる。
しかしできあがったレコードに彼らの歌は使われておらず、滝野たち騙されたのだと知る。またしてもバラバラになったバンドメンバーと、借金を返せず差し押さえで解体されるカフェガルボ

店に来たレディ・カモンテに、一度でも人に聴いてもらえたなら忘れられたとしてもいい、僕らの歌は誰かに忘れてもらえることすらできなかったと零す滝野に、歌ってみてと告げるカモンテ。涙ながらに歌い上げた滝野に、いい歌だった、いつかきちんと忘れてあげるとカモンテが優しく微笑む。滝野がハハ、と笑い、終幕。


●時系列
1940 幕初め。滝野はこの時点で床屋見習い。
1943 稲荷、志願兵として満州へ。滝野が徴兵されていない理由は不明。
1945 東京大空襲。滝野と良仲がカフェガルボで出会う。
    滝野、瀬田、良仲、稲荷、麻子、曽根川がバンド結成。
1952 講和条約の制定。アメリカ軍撤退。曽根川脱退。バンドは流浪に。
1954 鉄山のクラブの雇われバンドをしている。良仲脱退。
1957 東京タワー建設開始。会社設立済み。
    麻子が売春婦だったことが明るみになり、全員バラバラに。
1960 滝野がバンドを再招集~終幕


 ●舞台全体に関して
結論から言うと、わたしはこの舞台を「滝野が一人で過去を振り返っていたもの」として認識しました。実際に生きている人間としてそこにいたのは滝野とカモンテだけだったのではないか、と思っています。あの記者はイマジナリーというか、誰かと思い出話をしたかった滝野の妄想の産物なのではないかと。
ずっと過去を振り返る視点で滝野と記者がやり取りをしていたのが、ラストのカモンテ登場のタイミングで時間軸が現在とイコールになる。にもかかわらずあの記者が一度も滝野以外と話をしていない点と、カモンテが記者を認識した表現が一度もなかったので、そうなのかもしれないなと思いました。

大事なところで歯車がカチッと噛み合わない、寂しくて苦しい舞台でした。
戦時中・戦後を懸命に生きたひとたちのままならなさ。わずか二十年の間に大きく変わった日本という国と、時代。そこにうまく乗ってついていけた人間となにをしても流れからはじき出されてしまった人間の対比が、わたしには残酷に見えました。仕方のないことだと思うし、本当にこういうひとは多くいたんだと思うのだけれど。


初演で滝野が「いいじゃないですか。忘れてもらえるなら」と言った瞬間にタイトルの意味がわかり、背中がひゅっとしたのを覚えています。息をのんで、その後の歌で必死に涙を堪えていました。
ただそのあと何度か観劇しましたが、あまり泣くこともできず、ただただ苦しかったです。
最後の笑顔は、わたしには【辛いことを隠している方の笑顔】に見えました。明確な理由はありません。

なにかひとつの言葉や行動のタイミングが違ったら、もしかしたら異なる終わりもあったのかもしれないと思うとより一層ググッとなります。全編通して原因と結果や、“こう”という答えが描かれている作品ではない分、様々な感じ方があって、わたしにとっては重い舞台でした。

安田さんはパンフか雑誌かで、「最後に何か、希望を感じてもらえたら嬉しいです」とおっしゃっていたのでずっと考えていますが、わたしはあそこから希望を拾うことができておらず、納得できる答えが見つからないのでしばし己への宿題とします。


 ●個人に関して
 ・滝野亘
調子のいい男。辛い気持ちを隠すひと。口がうまいひと。プロデューサー気質。金が好きなのではなく生きることが好き。音楽が好き。
どうにも器用そうに見えて不器用なひとだという印象です。頭の回転は速いし弁が立つ。辛いときほど笑ってしまうので、そうと知らないひとからは軽薄にも見える。それ故に音楽を愛する気持ちが見えず、音楽を金儲けの手段にしてるように見られることもあって、けれどそんな誤解が生じているなんて気づきもしていなかった。

最後まで疑問だったんですけど、滝野は一体どこでそんなにも音楽に魅せられてしまったんだろう。空襲の日レコードを守りに来た良仲に「こんなときにレコード拾いに来てるやつは死ぬでしょ」と馬鹿にするような明るい笑いを向けながら、自分は金を稼ぐためにウィスキーを盗もうとする。そのままの彼だったら間違いなくうまく生きることだけを優先しただろうに。

……とこれを打ちながら考えていて、もしかしたらあそこかな、とひとつだけ浮かんだのが、倉庫で初めて演奏がうまく行った日、でした。
噛みしめるようにみんなに素晴らしかった、キラキラしていたと告げて拍手を送り、大袈裟だと笑うメンバーになおもなにか言い募ろうとするも、オニヤンマに演奏手配をしてもらう話が出てぐっと飲み込んでしまう。もしかしたら、あの言葉の先が聞けていたなら、わたしもバンドメンバーも、滝野の魂が「音楽が好きだってこと」だというのを信じられていたのかもしれない。つくづく、自分のことは飲み込んでしまうひとなんだなぁ。
それと同時に、千秋楽にして初めて、最後まで楽器を手放していなかったのは滝野なんだよなと不意にきちんと認識してボロボロ泣いたことを思い出しました。わたしが思っていたよりずっと、滝野の魂は音楽が好きだったのかもしれないな。

恐らく、一幕最初の滝野だったらガルボを買い取ったりそこを歌声喫茶としたりギターを手放さなかったりはしないんじゃないかなと思うんです。たぶん彼はもっと、その時代に合っていて自分にも合っていて、楽しく、できるだけ楽に生きていくための術を得ることができた。進駐軍が日本を去った時点で、そのとき手にしていた大金を運用しながら生きていくこともできたのでは?
良仲の「まだ稼ぐのか!?」いう心底驚いた言葉がそれを物語っている気がします。1ステージが普通のひとの一ヶ月の給料。現代に置き換えて1ステージ20万として、仮に週四日、七年間演奏したとしたら進駐軍が去るタイミングで稼いだ額は約1億2千8百万。毎日演奏していたのだとすればもっとです。
だけど滝野はそうはしなかった。手持ちのお金を切り崩していたのかはわからないけど、どう見ても進駐軍相手よりは稼げない雇われバンドを各メンバーにやいやい言われながらもずっと続けていた。
 
彼がこだわっていたのが「音楽」なのか「東京ワンダフルフライのメンバー」なのかは正直わからないままですが、それでも彼の愛したもののひとつが“音楽”であったことに変わりはないのかなと思います。

あと、滝野が結局バンドメンバーのことを仲間だと思っていたのかどうかもいまだに少し疑問です。

―滝野さんが仲間と出会ったのは、床屋じゃなくてダンスホールなんですね? え? あぁ、はい。仲間とは言い切れないんでしたね。(記者の男)

舞台序盤のこの言葉から推察するに、おそらくイマジナリー記者に対して「そんなんじゃないですよ」とか「仲間と言えるのかな」的なことを返したのではないかと。
けれど終盤で古物売りの男の「仲間がいないのか?」の問いには無言で返答なし。カモンテの「ほかに帰ってくるひとは?」の問いへは「僕の仲間がいました」と言っている。舞台後半の記者の「随分残酷な言葉を動機に仲間を再び集めようと思ったんですね」という言葉の“仲間”は否定しない。いったい滝野はメンバーのことを仲間だと思っているのかいないのか、カモンテにわかりやすいように仲間という名詞を用いただけなのか。
う~ん、ここの矛盾は最後まで昇華しきれなかったです。もしくは滝野の中でも答えは出ていなかったのかな。仲間という言葉で表せるような気もするし違う気もするのか。

鉄山に「一人で頑張りたかったわけじゃないんですけどね」と言ったり、鉄山の「まさかここでみんなを待ってるわけじゃなよな? そいつはロマンチックが過ぎるぞ」という言葉に「まさか!」と笑顔を返しつつも、明らかにその言葉を信じられない絶妙な間がある。個人的には鉄山の言葉で初めて彼らを待っている自分に気づいたのかもしれないな、と思うのですが、それも正直定かではないですね。
「国破れて山河あり、バンド破れてこの店あり」。この言葉も、滝野の胸になにかを刺したんだろうな。

そして「どうせ詰めるなら希望にしときません?って思います」とか言うくせに、滝野自身はどちらかというと過去に対しては悲観的で懐疑的なひとだな、と思います。

―滝野さんが仲間と出会ったのは、床屋じゃなくてダンスホールなんですね? え? あぁ、はい。仲間とは言い切れないんでしたね。(記者の男)
⇒「仲間と言えるのかな」というようなことを返した?

―バーテンに、作家志望、ピアニストになりたかった男に、床屋。よくそれでうまくいきましたね(記者の男)
⇒「うまくいったと言えるのかどうか」と返している。

―それでも会社は作ったんですね。……そりゃあ去る者はいたんでしょうけど。(記者の男)
⇒前半のどちらかというとすごいですねというニュアンスの次にこれがくるということは「みんなというわけにはいかなかったですけど」とか「賛否ありましたけどね」とか?

振り返りながら話す滝野はことごとく否定的なんですよね。
記者が滝野のイマジナリーだと仮定すると、滝野はあの、解体される寸前のガルボでひとり過去を思い返しながら、あれは正しかったのか、どうしたらうまくいったのか、間違ってはいなかったか、うまくいく道がなかったのかを模索しているのかななんて思ってしまって、ますます苦しいです。どうにかだれかに忘れてもらえる歌にならないものかとひとり寂しく空襲前のことから思い返して違う道を探していたのかと思うと胸がぐうううってなってしんどい。
歌い終わって泣き崩れたときも、完成した東京タワーがそびえる美しい夕焼けと、なにもかもなくなってしまったカフェガルボのまっさらさが遠すぎて痛い。

最後の最後、滝野の心にはなにかが残ったのかな。希望でも絶望でも、なんでもいいから、なにか。 
絶望が詰まっていると言った麻子に「いいんじゃないですか? なにかしら詰まっていれば。心はね、空っぽじゃ生きていけないんです。(中略)だから、なにもないよりはずっっっとマシです。ただ、どうせ詰めるなら絶望よりは希望にしときません?って、思います」と返した滝野。
彼はもしかしたらあの空襲で一度空っぽになって、絶望が詰まっている状態も経験して、たどり着いたのが希望を詰めることなのかな。夜は墨染めを歌いながら、詰め込んできた希望がぽろぽろ涙と一緒にこぼれていったのかもしれないな。

滝野だけでものすごく長くなったけれど、書いていてもとにかくしんどい。どうにか滝野が幸せになる道がこの先にあるといいなと願っています。とはいえ、これは飛び切り不幸な愛の物語なので、なんの救いもなく滝野はこのまま彼の求めた希望を得られぬままに生きていくのかもしれないけれど。

 ・稲荷義郎
作家志望。次男。とにかく受け身。あまり前に出ず、滝野とは違う意味で言いたいことを飲みこむひと。彼の中では滝野は頭がよく、良仲はジャズに筋が通った人間、瀬田と大は手先も人間としても器用で、自分にはなにもないのだそうです。ずっと滝野視点で進む作中で、他のメンバーをどう思っているか言及したのはおそらく彼だけでした。
パンフレットで福士さんもおっしゃっていましたが、登場人物の中では唯一戦場に行っているひとです。

―唯一戦場に行っているのが、僕が演じる稲荷。彼自身が戦場で実際に人を殺せたかどうかはわからないけど、目の前で死んでいく人の姿は相当数見ていたはず。(中略)虚無感、喪失感はきっと誰よりも感じていたと思います。
―このお話に出てくる(中略)“ポジティブな生きる力”は戦争に行って帰ってきた人の目にはどう映っただろう。

舞台「忘れてもらえないの歌」パンフレットより


わたしは戦争というものを経験していないので、たぶん稲荷の気持ちが一番わかりません。死んだ方がマシだと思う状況にも陥ったこともなく平和な世に生きているので推測することすら難しい。ただ、滝野が「戦争で死ぬよりマシでしょ?」と言った瞬間、なにを言われたのか認識した途端に強張った頬、かすかに泳がせて陰を差した瞳、怒りと絶望をない交ぜにしたようなあの稲荷の表情はあまりに痛くて、忘れることができません。

わたしの中では彼は、自分の描く理想と現実をうまく共存させられなかったひとというイメージです。本人も言っていたけれど、なりたいものがある(=作家)、けれどそれになれるかはわからない。今の状態だと、自分が書きたいものだけを書けるわけではないけれど、文章、詞、作品を作ることはできる。そこそこ安定した収入も得られる。けれど書きたくないものもある。

あけすけな言い方をすると、社会人ってみんなこうですよね。やりたいこととやりたくないことがあって、やりたいことのためにやりたくないことを我慢するか、やりたいことだけをやるためになにか(たとえば収入や休み)を犠牲にして、やりたいことだけをやれる状況に飛び出すか。稲荷は後者だったわけですが、これ以上魂を売れない、すり減る、という言葉は、やっぱり辛かったです。

好きな音楽だけをやって生活するには、それなりの実績を得ないといけない。そのためには下積みが必要で、下積みをしている間はなにかを我慢することもある。滝野がみんなの先を見据えて行っていたことに必要なだけの我慢を稲荷はできなかった。できないのが悪では決してない。個々人キャパも、なにを辛いと思うかも別だから。滝野は、音楽で給料をもらい生活ができるようになるならコマーシャルソングを歌ったって全然魂が減ったりしない。稲荷は、自身の思い描く書きたいものを書けない状況は魂がすり減る。うん。どちらの感情も理解できる。稲荷は“自身の言葉を紡ぐこと”を求めたのだろうなと思います。

もしかしたら稲荷は、倉庫で言っていたうじうじする、悩める生活に少し近づけたのではないかな。
書かせてもらえるならなんでも書きます、の状態から、これを書きたい、あれを書きたいと思う精神状態に戻ったというか。スレッガー中佐の言っていた、ここに来た頃は夢なんて見ないと言っていた(=戦争の夢を見ていたからそうとは言えなかった)状態から、夢を見ていた、と言えるようになった変化と似ているというか。そう考えると、稲荷が、魂がすり減るとしてバンドを脱退したのはもしかしたら稲荷にとっては前向きな精神状態の変化だったのかもしれないな。立ち止まるまではいかないけれど、少し走る速度を落とせたのかもしれない。

夢を追いかけるために収入を犠牲にするひとなんてたくさんいる。それだけをしていたいひと。自分にはなにもないと言いながら妥協をし続けてきたひとが、こうなりたいと言って今いる環境から飛び出すだけのエネルギーをひとりで抱えられるようになったのであれば、稲荷にとってはそれはそれでひとつのハッピーエンドだったのかもしれないな、なんて思いました。
もちろんバンド再召集のとき麻子に「金儲けができると思って集まったんでしょ」という言葉になにも返せない後ろめたさや、それに対して「カフェガルボがなくなると言われたら…」なんて言い訳ともとれる物言いをしてしまう弱さを抱えている稲荷も、それはそれで彼のひとつの人格なんだろうな。

個人的に稲荷はあれでちゃっかりしている部分も大いにあると思います。
闇市のシーンでは良仲がレコードで揉めて滝野が鉄山に絞られている間に、稲荷はちゃっかりお金も払わずに靴も本もゲットしていて、しかも店主が席を外した店に置いてあったお酒もそっと飲んでいる。挙句の果てにはレコード一枚もしっかり取り戻したりなんかして。
いっぺんに二人もバンドから抜けたらよくないだろうと、瀬田のバンドを辞めないという言質を取ってから自分が辞めることを言いだすところも。
たしか稲荷は次男ですよね。つまり上にひとりお兄ちゃんがいる。かつ、下の弟が家と一緒に炭になっていたので、最低でも四人兄弟(下の弟という言い方をするということは上の弟もいるわけで)。その真ん中ですからね。控えめなところは地の性格としても、上の様子も下の様子も見ながらうまく立ち振る舞っていた部分もあるんじゃないでしょうか。
時代が時代だったら意外と滝野とやんちゃして良仲に苦い顔されるなんてこともあったのかなぁ。悲しい想像でしかないけど。

唯一(とはいえ受け身すぎだろ!!)と思ったのは、辞めるとき突然すぎると言った滝野に「僕はもう何年も違和感を抱えていました。それに気づいていない時点でもう一緒にやっていけないかと」というセリフを聞いたときです。いや、言えよ!わかるかい!とこっそり突っ込みましたが、それを言えないところが稲荷の稲荷たるゆえんであるのかもしれないな。
稲荷先生の作詞した夜は墨染めに関してはまた別途記載します。

 ・良仲一矢
ジャズ好き。ピアニストになりたくて独学でピアノをやっていた。肺の異常で入隊審査に落ちている。
率直に言うと、わたしはたぶん良仲と一番仲良くなれねぇな、と思いました(身も蓋もない)。自分の中のジャズというものに固執していて、それが最高で唯一で正しいと信じていて、それを他者にも求めるひと。それ以外を認めない傾向にあって、ことさら滝野とはぶつかるひとでした。それを貫き通せればもしかしたらそれはそれで職人というか、そういうものになれたのかもしれないけれど、自身の知らない音楽のジャンルを突きつけられた瞬間にプライドが傷つけられ彼の中のなにかが折れたような虚しさを抱いてしまい、結果バンドを脱退する。
裏口での滝野との口論は日を追うごとに熱を増していき、圧巻の一言でした。

―君はまさに、ワンダフル、フライだな!
―ハァ?
―蠅だよ! 音楽に群がる汚い蠅だ!
―光栄だね! 音楽は素晴らしい! それは君が、君たちが、教えてくれたことだよ。その周りをいつまでもブンブン飛び回っていたいよ。それは君も同じだろ?
―似てるけど同じじゃない! 俺は、虻だ! 音楽でひとの心を刺そうっていうプライドがある
―賛成だ! その手助けがしたい!
―蠅と虻が一緒に飛んでるの、見たことあるか!?
(良仲・滝野)

金のことばかり考えているお前と一緒にするなという嫌悪にも似た感情がありありと見えました。感情のまま声を荒らげる良仲と、一瞬カッとなって良仲に掴みかかるもすぐにまたいつもの笑顔になって、持て余した力を逃がすように、自分が掴んだことでぐしゃぐしゃになった良仲のシャツを撫でて直す滝野との対比にもううう、となりました。
良仲はもしかしたら、あとほんの少しだけ知ることができていればもっと全然別の考え方を持つことができたりしたんじゃないかなと思ったりもしました。音楽は自由であるということ、生きていくためには金が必要だということ、滝野は良仲が思っているよりもずっと音楽とバンドメンバーを愛していたということ。そうしたら自身の軸を持ちつつも柔軟性のあるピアニストになれたのではないか、などと思ったりしています。

そしてわたしが一番(こいつ性格悪いぞ!)と思ってしまったのが、大と再会するときです。あれだけ自分の感情を優先して、滝野の言葉を無視して無言で去っていったのに、開口一番「全員そろうなら再結成してもいい」。どれだけプライド高いのか。
そしてマッサーと名乗る新人ロカビリー歌手、大を前にインタビュアーに職業を何度も訊かれ、おそらく自身の現状と大の現状を比べて出てきたのが、大の過去の暴露。端的に言うと幼稚か!と。いやどうあがいても仲良くなれなさそうです。

ただもしかしたら彼は、精神としてはクラシックのひとだったのかも、と今振り返っていて思いました。
作曲者の意図を組み、時代背景を想像し、楽譜に書かれていることを忠実に再現する。関ジャムという番組でわたしが清塚さんに教えてもらったクラシックの精神が、良仲の求めるジャズだったのかもしれない。いやでもジャズはどんどん新しくなっていく音楽、みたいなこと言ってたな……どうなんだろう…。
わたしは音楽に明るくないので当時のジャズというものがどういうジャンルでどういう扱いの音楽だったのかはわからないのですが、彼の主軸にそういう感情があると考えるとなんとなく日本語訳や勝手な作詞への憤りや不満はおぼろげながら理解できるかもしれないとは思いました。
ジャズが聴けなくなるなら死んでもいいと言っていた彼もまた、滝野とは違う形だったかもしれないけれど“自分の中のジャズという音楽”を愛しぬいた男なんでしょう。

 ・芦実麻子
地方の農家の娘。売春婦。うじうじ悩む生活がしたい。本音か強がりかは置いておいて、強い子だな、と思いました。
売春婦仲間たちの間の話で、「なりたいものになれなかったのを戦争のせいにできてよかったね」というセリフがあったのですが、売春婦をしていたことがバレて一様に「そういう時代だった」と麻子をかばおうとするメンバーに向かって「全部自分で決めたことだから。誰かや時代にそうさせられたなんて思ってない」と対比のように叫ぶ麻子に胸が痛みました。
戦争の、時代のせいにしたって誰もなにも言わないでしょう。それなのに、決してそうじゃないと断言する強さと潔さ。物言いが少し強くて勝気な部分もあるためか我儘で勝手な女性に見えるときもありましたが、軽快なステップを踏みながら心底楽しそうに歌う素直さや、自分は辞めるからレコードだけはと仲間のために頭を下げる優しさも持っている可愛い健気な子でした。

彼女に関しても唯一わからないのが、麻子はなにが我慢できなくてバンドを辞めたかったのかということ。
裏口での稲荷とのシーン、稲荷が「辞めてどうするの」と訊いたということは、少なくとも麻子は「辞める」という趣旨の内容を発言しているということで、その後「お金のために歌えってこと? 滝野さんと同じじゃない!」と続きます。
そして滝野が会社を立ち上げた後の屋上でのシーンでは、オニヤンマに酒浸りの状態で歌えるのか尋ねられ「あったりまえでしょ! 何年割り切ってやってると思ってんのよ」と返す。ここ。麻子はいったいなにを理由に辞めようとして、なにを割り切ってバンドのボーカルを続けていたのか。
お金のために歌えって言うの、というセリフがあった以上、稲荷にとっての文学を作りたい欲求とか、良仲にとってのジャズの在り方とか、なににも引き換えにできないこととか、お金をもらったとしても辛抱ならないなにかがあってしかるべきなのではと思うのですが、残念ながら麻子にとってそれがなんだったのかはわからずじまいでした。

「ちょっと英語に耳がなじんでただけだから! 滝野さんだっているし!」というセリフは、ほんの少し劣等感というかそういう感情が読み取れたような気もしたのですが、べつに彼女は音楽をやりたくて歌っていたわけではないし歌手を目指しているわけでもない。
けれどあのときオニヤンマを引き留めバンドメンバーに光を与え、売春婦という職業から彼女を引き上げた歌声で再びあの歌を歌うも、今はその武器は武器にならなかったときには「最後まで頼りない武器でした」と涙ぐむ。麻子はそれを頼れる武器にしたかったのか?「バカみたいじゃない? 歌手でもなんでもないのに調子に乗って歌なんか歌って落ちぶれて、ざまぁみろって思ってるんでしょう」と言うからには、歌で、バンドでトップクラスになりたかったのかな。わからないな。どうなんだろう。

麻子がバンドを辞めたいと思っていた理由はわからないけれど、彼女自身で言えば“自分自身を必要とされる・求められる”ことを求めたのかもしれないなとうっすら思います。

―偉そうにしてる男がさ、涙流してわたしの身体まさぐるの、楽しかったもん! あのときの生きてる実感が、戦争の、時代のせいだったなんて、思いたくないから!(麻子)

あの時代において優位性を持つであろう男という生き物が自分に夢中になっていることへの優越感なのか、必要とされていると錯覚できるからなのかはわかりませんが、この言葉を聞いてなんとなく、麻子はひょっとしたら純粋に誰かのために生きたいひとなのかもしれないな、と考えました。
将校クラスしか相手にしないほどの仕立て屋に服を仕立ててもらえるほどのバンドに成長しても自身の歌に対しては「滝野さんだっているし」と言っていたり「頼りない武器」と比喩したりとずっと自信のない麻子。それと同じくらい、場合によっては自分というものにも自信を持てなかったかもしれない彼女が、なにも持っていない、文字通り裸の状態でひとに求められるというのは、とても嬉しくて愛おしいものでもあったのかもしれません。生きている実感を得るくらいには。
夢が教師というだというのも、ひとに与えられる人間になりたい、ひとを導ける、ついてきてくれるひとがいる自分になりたい、ということでもあったのかな。


 ●夜は墨染めに関して
いや……これを「皆で楽しく歌いたくて作りました」と言える滝野よ………。
二番があまりに暗すぎて絶望すぎてしんどいのですが、「それを歌わずにはいられない気持ち」を大切にした結果なのかと思うとまたずんと重いなにかが胸に落ちます。これを楽しく歌う気持ちは、きっとわたしには理解できないのかもしれないな。

【夜は墨染】
夕暮れは 橙で
群青の夜を待つ
震える声を 頼りに
つまづきながら 先を急ぐ

星は今日も 空に美しく
煌めいてくれるわ
だから わたし膝をさすって
うつむいたまま 歩く

なけなしの おかしみで
笑いあえる友を
目を細めみてるばかり
まぶしさが いたくて

星は今日も どうせ美しく
煌めいてくれるわ
川面に映る姿だけ見て
うつむいたまま 歩く

気がつけば 夜は墨染
しるべも ついと消えて
すがるよに のばした手を
にぎりかえしてくれたのはだれ?

星は もうみえないけれど
煌めきは 覚えてる
ふりはらい こぼれながら
うつむいたまま 歩く

舞台「忘れてもらえないの歌」パンフレットより


1番は主に希望を歌詞から感じます。
頼りにするものがあったり、躓きながらも先を急いだり。
「膝をさすって」は、継続して歩く意思がある。歩こうと思って歩いている。つまり、自分の意志で前を向けているのではないかと。

2番はもう、絶望感が強くてしんどいです。
「なけなしのおかしみで 笑える友を 目を細めみてるばかり まぶしさが いたくて」
⇒そもそも笑うために「なけなし」のおかしみを引っ張り出さないといけない(なけなし=殆んどない、ありもしないの意、わずかしかないこと)。
本当にささやかなものを探し出さないと笑うことができない切なさ。環境なのか自身のせいなのかは不明だけれど、しかもそれで笑っている友人を自分は端から見ているだけ。友人たちが笑っている光景が眩しく見えてそれが痛いだなんて、それを持ちえないものしか抱かない感情なのでは?
つまり、この曲の主人公はなけなしのおかしみすら見つからないのか、そのおかしみじゃ笑えないのか、とにかく笑うことができていないという状況と推察されます。

「星はどうせ美しい」
⇒どうせの意味を調べました。

どう‐せ の解説
[副]《副詞「どう」+動詞「す」の命令形「せよ」の音変化から》
1 経過がどうであろうと、結果は明らかだと認める気持ちを表す語。いずれにせよ。結局は。「どうせ勝つんだ、気楽にやろう」「どうせやるなら、はでにやろう」2 あきらめや、すてばちな気持ちを表す語。所詮 (しょせん) 。「どうせ私は下っ端 (ぱ) ですよ」

goo国語辞書より

 文脈的には、(自分にどんなに希望がなくても)どうせ星は美しいなど、捨て鉢な気持ちを描いている方が当てはまるように思います。
「川面に映る姿だけ見てうつむいたまま歩く」という歌詞から、そもそも空すら見上げままに「どうせ美しい」と言っていることがわかり、歩かないとどうしようもないからとりあえず歩いている感が見えて、明らかに1番より疲弊している気がします。

3番はおそらく希望に転換?
だれかはわからないにせよ握り返してくれたひとがいるし、見えなかったとしてもその煌めきは覚えている。涙を振り払うというのが泣き止もうとする意思表示であれば、またわずかながら進もうとする希望が見えたのかな、と思います。

空に美しく煌めく星はきっとそれぞれにとっての希望で夢で、それを掴みたくてうつむいたままでも歩く、絶望があったとしてもやがて来る希望の始まりを願った歌詞なのではないかな、とわたしは思いました。それにしても2番の絶望感が強くて、わたしはこれは楽しくはたぶん歌えないです。

ストーリー上、麻子の感情が起点にあって稲荷が書いた歌詞ですがバンドメンバー全員に当てはまる部分のある歌。
とはいえ当然実際の作詞は福原さんなわけですが、なにしろ、我らの曲ぞと思って流したらそうではなかったあの瞬間。そのときに流れた歌、上を向いて歩こうとの対比が素晴らしい。 
涙がこぼれないよう上を向いて歩く、おそらく永劫後世に忘れられないであろう歌と、涙を振り払いこぼれながらでもうつむいたまま歩く、忘れてすらもらえない歌。
そしてこの、涙がこぼれながらでもうつむいたまま歩く歌を、顔を上げて笑顔で歌う滝野よ。


 ●先行トレーラーに関して
結論から言うとよくわかりません。
全員タキシードで、演奏するのは滝野、稲荷、良仲、瀬田、曽根川。麻子は上から見ているだけ。
もし過去にあったかもしれない彼らの栄光なのであるならば麻子がいて然るべきだし、滝野の描いた理想や願望や夢だとしても麻子がボーカルだろうし、曽根川でなく大がドラムを叩いているのではないでしょうか。
それぞれの理想をかき集めたものなのかもしれない(麻子は頼りない武器を使わなくても綺麗なドレスを着る生活ができている)とも思ったのだけれど、そうすると稲荷が物書きでなくサックスを選んでいるのに多少違和感があるし…。

妙にセピアがかった色に麻子の言葉を思い出し(※後述)、やはり過去のことであるのかもしれないと考えつつも、先行解禁のトレーラーなのであくまで世界観の演出なだけかもしれないとも思います。しかしみんないい顔してるな。みんながこんな表情のまま生きていければよかったんだけどな。


 ●その他印象に残った言葉

―自分を褒めるのが下手だと疲れるよ(夢の中・滝野の客の男)
わたしはこの言葉に、稲荷のことを想いました。

「稲荷さんは詞がかけるじゃない」と麻子に言われ「褒められたためしがないし物書きに専念する度胸もない。自分を許せる範囲で妥協した結果が、今だよ」と返す。これがとてもつらくて悲しかった。
滝野がクラブガゼルで言った「すごくいいと思う」という賞賛やカモンテの賛辞は、稲荷の中で“褒められた”という認識にならないんだなと思ってしまって。それくらい、稲荷は自分を褒める、褒められた自分を認めることが下手だったんですよね、きっと。
滝野の性格からすると、きっと稲荷の詞が出来上がるたびに大なり小なり言葉を渡していたと思うのだけど(マジックママのときも作詞した稲荷を褒めてやってくださいって言っていたし)、だけどそれらの言葉はなにも稲荷の心には残っていなかったんだなぁ。
稲荷の上手いヘタを差っ引いても、滝野の魂が音楽だということや滝野の言葉は軽んじられている……というと語弊があるかもしれないけれど、心からの言葉だと信じられることがなかったのかもしれないなぁ。滝野が辛いときほど笑う人間だということには気がつくのに、そこ以外は稲荷も滝野のこと、お調子者だと思っていたのかなぁ。つら…。

―お前、なんで歌わねぇんだよ! ていうかギターないし!(滝野)
オニヤンマのバンドの演奏後、ぼくらもやりますよ!と大に促された彼ら。麻子に歌ってくれという表情を向けるも、麻子はぷいっとそっぽを向いて椅子に座ったまま動かなかったときの滝野のセリフです。
怒っているときでも、敬語ではないけど比較的丁寧な口調を崩さなかった滝野がここだけは妙に崩した口調だったのでなんだかとても心に残っています。

―喧嘩別れをした相手の心には、あなたという人間の破片がチクリと刺さっているものです。それは相手が持っていなかった感情で価値観です。その破片はいつか相手の心の中に取り込まれ、そのひとの心を豊かにする。と考えれば、そう悪い経験でもないでしょう。もちろん、逆も然りですよ(記者の男)
滝野も良仲も音楽を愛したという点においては同じだけれど、大切にするものが違いすぎて離れざるを得なかった。そんな彼らではあるけれど、きっと互いの心の中に互いの存在や考え方は刺さったのではないかな、と、そんな風にも思える言葉でした。もちろん滝野と良仲だけに言えることではなく、各メンバーの心にはそれぞれの存在がちくりと刺さっていたんだろうな。

―正直者って残酷だよね/……麻子?麻子じゃない?久しぶり!(コオロギ)
「同情されてるみたいで傷つくよ」というコオロギの言葉になにも返せなかった麻子に対しての「正直者」という言葉だったのかなと思うのだけど、その後再会したときの言葉に、時代というか、心の区切りを目の当たりにした気がした。
切りつけるような強さと悲痛さで麻子に言葉を吐いて別れたのに、久しぶりに会ったらコオロギから声をかけるんだ、というのが最初の感想でした。久しぶりじゃないと笑うコオロギはどちらかというと本当に再会を喜んでいるように見えて、全然種類は違うのだけど、同窓会で何事もなかったように声をかけてくるいじめっ子みたいだな、と思ってしまった。
麻子は歌い始めた頃のまま焦燥感を抱きながら、頼りない武器だけで必死に戦い続けているけど、コオロギはそうじゃない。あの頃、という言葉で区切ってしまえるものに変わってしまった。つまりコオロギの中で麻子はもう振り返ることができる過去で、それこそある種、セピア色で古いジャズでもかかっていたりするのかな。時というものの残酷さが胸に詰まった。

―国破れて山河あり、バンド破れてこの店あり(鉄山) 
国は戦で滅んでも山や川は変わらずそこにある、という内容にあてこむと、(滝野たちの)バンドがバラバラになってなくなってもカフェガルボは変わらずそこにあるというだけの言葉。けれどわたしは、滝野が、自分がいきりたとうと悲しもうと泣こうと笑おうと、ガルボガルボであり続けるし、別に自分が懸命に声を振り絞ってギターをかき鳴らさなくても、音楽は鳴り続けるということに気がつきギターを置くきっかけになった最初の言葉ではないのかな、と思います。鉄山さんは何気なく口にしただけだったのかもしれないけれど、滝野がそうと気づいていたかどうかは置いといて、思いがけず滝野に影響を与えたのではないかな、と。

―人生は振り返るときのみが楽しい。けど、知らねえ奴と振り返ってどうする。人生唯一の楽しみを楽しむために、楽しい仲間がいるんだろ(古物売り)
この言葉があったから、その後麻子をバンドに引き留めて歌を作ろうとしたときの「振り返って思い出話をしてくれるだけでいい」がぐっと引き立ったように感じます。滝野にとって楽しい仲間は、きっと彼らに他ならなかった。
この古物売りとの会話の後のカモンテの歌「あなたとふたり 生まれ直して 場面場面をいつくしむ」も素晴らしかった。重厚なコーラスとカモンテの歌声が会場全体を包んでくれるようで。ある公演ではこのシーンがあまりに優しくて涙が止まりませんでした。滝野もあの優しさになにかが溶けたりどこか救われたりしたのかもしれません。

―それでも信じ続けるしかないだろうね。いつだって信じることのみが救いで、結果に救いはないからね(レディ・カモンテ)
「僕がみんなのためになると信じていたことは一度だって理解してもらえたことがないんです」と嘆く滝野にカモンテが向けた言葉。たぶんこの物語の中で初めて滝野が他者に弱音を吐いた瞬間だったのかな。
わたしはこの言葉を聞いて、なんて宗教に近いのかと思いました。過程でも結果でもなく、信じることそれ自体のみが救いである。けれど滝野に信じろとは言わない。
信じ続けているうちは次の希望があるかもしれない。次の夢もあるかもしれない。願いも叶うかもしれない。すべて“かもしれない”ではあるけれど、信じ続けてる限りきっとゼロにはならない。滝野が再び足を踏み出そうとしたきっかけ。おそらくこの舞台を見たひとでこの言葉が胸に残ったひとは多かったのではないでしょうか。もちろんわたしもそのひとりです。

―空襲の日、ここで会ったよね。君はレコードを守ろうとしていた。それだけじゃない。音楽を楽しむってことを、戦争に奪われないよう抵抗しているようにも見えたよ。そんな君が、レコードを作るって楽しみを、自分で奪うようなマネしないでよ! 君のこだわりは、音楽の素晴らしさの前では無力なはずだ(滝野)
滝野の良仲への情を感じた瞬間でした。あまりにプライドの高い良仲が、レコードの曲を作るという、おそらく音楽をやっている人間であれば一度は夢見る仕事を自ら捨てようとしているときに、それに対して怒りを示すのが滝野なのだな、と。
その後に麻子を引き留める滝野に、観劇したときはどうして滝野がここまでこのメンバーでいることにこだわるのか、なにがそこまで滝野を駆り立てるのか疑問だったのですが、滝野が音楽を愛した日に自分なりの答えが出た瞬間、そらしょうがないかと思いました。音楽の素晴らしさを教えてくれたひとたちだものね。滝野は本当に、このメンバーで音楽をすることにずっとずっとこだわっていたのかもしれないな。信じたいのだろうし、信じると決めたのだろうな。

―離れ離れになった方がさ、さっさと思い出にできるよ。大丈夫。なんだってセピア色で、古いジャズでもかけておけば、いい出来事だったみたいな勘違いができるから(麻子
騙されたのではないかという麻子の言葉が真実味を帯びて店を去ろうとした四人と、それを止めようとした滝野。麻子が滝野を諭すように告げたこの言葉で、四人のいる側だけがセピア色になり、古いジャズがかかる。笑いながら何事もなかったように、じゃあな、またね、と和やかに別れる五人。
実際に五人が別れた瞬間は当然セピア色でもないし古いジャズもかかっていない。むしろかかっているのはあのレコードだっただろう。それでもその瞬間を思い出そうとした滝野の中ではあの別れのシーンはセピア色で、古いジャズがかかる。
あそこはどうだったのかな。(最後に言われたことは)忘れました、と言う滝野は、いい出来事だったみたいな勘違いをすることを拒否していたのかな。なかったことになんてしてやらないという気持ちだったのか。

―いいじゃないですか。忘れてもらえるなら。一度でも光を浴びたなら、たとえ忘れられてしまっても幸せだと思います。歌を作ったんです、この店で。でも、誰にも聴いてもらえないままの歌になりました。僕たちの歌は、忘れてすらもらえませんでした(滝野)
最初の全体感想でも書きましたが、初日のこの言葉でタイトルの意味がわかりました。忘れるためには記憶に残らないといけない。記憶に残るためには聴いてもらわないといけない。けれど、その最初のステージにすら立てなかったんだな、彼らと彼らの歌は。
この時代も、もちろん今も、誰にも見られず、知られず、形にすらならずそっと消えていく作品やコンテンツなんて山のようにあるし、それはもしかしたら失敗で負けなのかもしれないけれど、そのひとつひとつにはきっとこのお話のような物語や感情があって、懸命に生きた証なんだな。
 
わたしの好きな漫画の、お父さんが幼い娘に言い聞かせた言葉を思い出しました。
「誰かが特別悪いことをしたわけじゃなくても、うまくいかないこともあるんだ」。
今回の舞台の登場人物はまさにそうだったな、と思います。
全員の大切なものが違っていて、正義も、守りたいものも違っていて、それが違うことをお互い理解できていないからすれ違うし、うまくいかない。だけど誰が悪いわけでもない。それぞれが自分の大切なもののために生きただけだった。
 
最初に書いた通りわたしはこの舞台から希望を拾うことはできていないのだけど、滝野亘という人間と、彼がかかわった仲間たちすべてのこの先の人生に希望があると信じたいとは思いました。そしてわたしがそう信じること自体が、希望であり救いなのかもしれないなと。


 最後に、安田さんがパンフレットで言っていた言葉。

生きることの熱量や“生きるとはなんぞや?”ということが、見ている人の心に刺さったらなと思います。

舞台「忘れてもらえないの歌」パンフレットより


わたしは恵まれた時代に生まれて、生きていると思います。

生きるためだけに仕事をしているわけじゃない。立ち止まっても死なない。今日の夕飯はなににしようかなって考えることもできるし、今日はどの服を着ようか悩むこともできる。もちろんこしあんのアンパンつぶあんのアンパンもどちらも買えます。生きることだけに必死になったことは一度もない。これからも、おそらくはない。

だけど、うん。たぶん、確かに安田さんの放った熱はわたしに刺さったと思う。
全身全霊で生きることに懸命で、いつだってまっすぐでひとのために生きたいと言う安田さんを見ていると自分の生き様というものを考えてしまう。朝起きてある程度決まった仕事をして家に帰る。そんなのらくらと生きているだけの自分の喉元になにかを突きつけられている気分になる。お前は日々、胸を張って生きているかと安田さんに問われているような、そんな。

生きるとはなんぞや。滝野を通して安田さんから届いたメッセージは、そっと胸に留めておく。


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201909052040

本当にわたしの気持ちにしか配慮していません。
好き勝手書いています。

 

 

 

 

 

 


錦戸亮ちゃんの脱退、退所。
正直なところ一番大きかったのは、あぁやっぱり、だった。
ツアーオーラス、最後の最高で最強の関ジャニ∞のところで、端っこにいて、繋いでいない方の手を上げずになんともいえない表情をしていた亮ちゃん。7月公演収録10月発売のDVDの告知解禁。ツアー終了後に収録するものが一切なかった収録内容。
たぶんわたしは、心のどこかでそうなのかもしれないなって思っていたんだ。

だからこそ、そんな自分に吐き気がした。
昨日ちょうどブログをあげて、彼らの言葉だけを信じたいと書いた。悪魔の証明だよねって話もした。結局、全部自分に言い聞かせていただけだった。わたし、どっこも彼のこと信用してなかったんじゃないか。って、そういう自分に気づいて無性に自分が嫌になった。

メッセージを見て、動画も見て、錦戸亮がいないってこういうことか、って打ちのめされたし、一歩前にいたいっていう彼らがわたしの想像した彼らよりずっと笑っていて、なに笑ってんの?って怒りにも似た悲しみと、虚勢かもしれないけれど、それでも彼らが笑えていてよかったっていう安堵が同時に沸き起こってきてわけがわからなくなった。
彼らが辛くないわけなんてないのに、そんなのわかりきっているのに、なんてわたしは自分本位な人間なんだろう。


どれだけ思い返しても見てもステージ上にいた錦戸亮に嘘なんて一切なかったし、嘘が付けなくて真っ直ぐな彼があんな表情でわたしたちを見てくれたんだから、あれはたしかに愛に違いなかった。そこだけは絶対に間違いじゃなかった。

涙は出ていない。
安田さんの件があって、わたしはもう、とにかく命があって元気で生きていて、健やかな精神状態で好きなことをしていてさえくれればそれでいいと思ってしまっているから。そのうえで、できればその好きなことが関ジャニ∞であればいいと祈ることしかできない。
すばるの脱退も、やすくんの病気も、人生とか生死とかそういうことを考えるきっかけとしてはきっと充分すぎるほどで、だからそのうえで錦戸さんの選んだ道が関ジャニ∞じゃないなら、そうか、と飲みこむしかできない。
だけどそれでも、わたしは関ジャニ∞錦戸亮が大好きだったんだ。
どうしたって寂しいし悲しいし嫌だって思ってしまう。

今は彼の口から彼の気持ちを聞きたい。
ごちゃごちゃ言うのはカッコ悪い、カッコ悪いのはダサい、結果がすべてっていう、不器用を絵に描いたようなタイプのひとなのはわかっているつもりなんだけど、こんなときくらい、少しくらい心を覗かせてくれたっていいじゃないか。
対外的な言葉じゃなくて、結果の報告じゃなくて、自分たちのファンに向けての錦戸さんの気持ちをほんの少しでもいいから聞かせてほしいんだよ。理由を教えてくれなんて言わないけど、ひとかけらでいいから気持ちをくれないか。
だいすきだ、だいすきなんだよ。あいしてるんだ。

 


そして五人で走ると決めた横山さん、村上さん、丸山さん、安田さん、大倉さん。走り続ける彼らが大好きだけど、壊れてしまわないかってときどき不安になるよ。そない脆ないわ!って言われるかもしれないけど、自分自身の心と身体をなによりも大切にしてほしい。
ファンのことを一番に考えてくれるのはとっても嬉しいししあわせだけど、お願いだからファンの期待とか願いに雁字搦めに縛られたりなんかしないでほしい。47都道府県ツアー、月に一回ご当地行っておいしいもの食べてライブして温泉入ってくらいのペースでいいよ。たまには一緒にゆっくり歩こうよ。み~んなで和室に寝っころがってぐだぐだテレビ見ながらたまに酒を飲んだりする映像を見たいよ。お散歩して、もうもみじが赤いねなんて笑いあおうよ。

だいすきだよ、あいしてる。
ツアーには申し込むよ。一緒に16周年も笑って過ごしたいね。



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20190714-20190903

十五祭のセトリ・内容が含まれる話をしています。
円盤までネタバレ回避の方はここでやめておいてください。
すべて個人の感想であり何の根拠もありません。

 

 

 

 

 

 


十五祭が終わった。札幌から東京まで走りきった。
支離滅裂な部分もあるとは思うが、個人的に自分の気持ちを整理しておきたいのでここに記しておこうと思う。

一言で感想を述べろと言われれば考えるまでもなく『死ぬほど楽しかった』に凝縮される。
めちゃめちゃ笑ったしペンライト振り回したし大声でコール&レスポンスした。

去年はどうしたってすばるくんの声を探してしまって、あぁ、ここも違う、この声じゃない、なんて自分で勝手に自分の傷を抉って悲しくなったり寂しくなったりしたけど、今年はそんなことはほとんどなかった。
あ、ここは安田さんになったのか。ここは横山さんになったのか、という、純然たる事実をただ受け止めただけだった。
これが時間というものか、とほんの少し寂しくなったりはしたけれど、去年ほど絶望的な気持ちにならなかったのは、たしかに時間の経過もあるがそれ以上に彼らが歌を自分のものにしていたのが大きかったのだとも思う。

なにもかもがストンと胸に入ってきた。優しく、あたたかく、力強く、ときにかわいくかっこよく、楽しく。
メッセージソングに至っては、どれだけ昔の曲でも今の彼らにもしっくりくるように感じていた。年齢も立場もあの頃とは全く違うのに、だ。けれどそれは、彼らがあの頃と同じくずっと前だけを見て、上を目指して、でかいことをしようと頑張り続けてくれているからかもしれない。
だからわたしは彼らが大好きなんだ。

俺たちは夢しか見ないんだ
それでも「一歩先」へ
進むんじゃない 進めるんだぜ
まだまだ終わらないから

彼らの歌の説得力よ。


15年を背負って歌う彼らは、とてつもなく眩しかった。
映像には内くんもすばるくんもいて、それはとてもエモーショナルを呼び起こされたけれど、とんでもない大事件ではなく、ただの事実だ。一つの過去だ。ふたりは確かにそこにいた。関ジャニ∞は8人だったし、7人だったし、6人だ。

オーラスの勝手に仕上がれの横山さんは力強くて、あまり見たことのないほど力の入った歌い方をしていた。最年長の絶対また会いましょうはなによりも強い願いで、お守りだ。

あんなにはしゃぐ村上信五を、あんなに穏やかにメンバーを見つめる村上信五をテレビで見たことがあるか?あの場では最高に楽しんでいい、ふざけていい、素のアイドルでいていいという彼のわたしたちへの信頼に他ならない。

ロマネの落ちサビを歌う錦戸さんのとても笑顔があまりに優しくて、楽しそうに会場を眺めていて、わたしはとても自然に『わたしたちはこのひとに愛されている。大切にされている』のだと感じた。錦戸さんは他のメンバーに比べると多くの言葉を用いるタイプではない。けれどそのかわり、いつだって表情で、パフォーマンスで、行動で示してくれるのだ。

安田さんは錦戸さんとは真逆で、言葉を尽くすタイプのひとだ。そのひとがこのツアー中何度も何度も、ここまで連れてきてくれてありがとう、と言ってくれた。去年の安田さんが嘘だったみたいに跳ねて、踊って、走って、歌って、命を漲らせていた。

去年よりは幾分か肩の力が抜けたように見える丸山さんは変わらずファンを幸せにする術に長けたひとで、アシュラマンになりたいと言ってくれたその気持ちがなによりも嬉しかった。

今年から若頭となった大倉さん。演出、構成のメインが大倉さんだという話を聞いた。わたしには、このコンサートそのものが大倉さんの、彼らの愛に思えてならない。

歌割の変更は大変だろう。14年ずっと真ん中でマイクを握り続けていたひとがいなくなって、そこを他のメンバーでかわるがわるマイクを持つのだ。演奏との兼ね合い、ハモリのバランス。誰かがそこを歌えればいいというものじゃない。ダンス曲なら当然フォーメーションも変更しなくてはいけない。


彼らには、選択肢があった。やり慣れた曲を多くやることも、お祭りだからとトロッコやファンサ演出をもっと多くすることも、どうにだって調整できたはずだ。だけどわたしの愛する彼らはそれをしないのだ。

開始早々ポップアップで飛び出し、歌詞を一新したメンバー紹介曲で走り出し、披露するのは初めてばかりの日替わり演奏をこなし、彼らの中でもトップクラスで難易度の高いダンス曲をあえて終盤に配置する。どれだけ大変かは想像に難くない。
それを我々のためにやってくれる。それが愛じゃなくていったいなんだっていうのだろう。


悪魔の証明というものがある。
『元々は中世ヨーロッパのローマ法の下での法学者らが、土地や物品等の所有権が誰に帰属するのか過去に遡って証明することの困難さを、比喩的に表現した言葉』(by Wikipedia)なのだが、転じて、「存在しないこと」「そうではないこと」などの証明の困難さを表す言葉としても用いられる。

例えば幽霊がいるとか、UFOが存在するとか、そういうことだ。それが存在するということを証明するためには、たった一例でいい。一例だったとしても、それは間違いなく「あった」からだ。
けれど「存在しない・ない・ありえない」ということを証明するためには、可能性という可能性をすべて調査してからでないと、存在しないと言えない。そうでないと「存在しない」ということの証明にならないからだ。
はたしてそれができる人間がこの世にいるのだろうか。
「ない」とういことを証明できなければ「ある」、という究極の詭弁。

わたしは、今回の諸々の不安や、言いようのない澱みはそれに似ていると思っている。こんな言葉打ちたくもないけれど、解散とか、脱退とか、そういうことを証明・推測するには、たったひとつの疑念があればいい。けれど、当たり前にずっと存在し続けるということを証明することはできないのだ。
「続く」ということを証明できないのであれば「続かない」のだ、という極論が出てくるのである。

もちろん不安を抱く気持ちはわからなくはない。なぜならわたしたちは、なによりも信じていた永遠がないのだということを去年痛いほど知ってしまったから。
そして大倉さんもラジオで言及していたとおり、マイナスの言葉はプラスの言葉よりもひとつひとつの力が強い。かのSMAPさんだって歌っていた。疑い始めればキリがない。

だからわたしは常々意識して生きている。
別にそんなもんごちゃごちゃ考えないでいようと。
わたしはわたしの愛する男たちが、余計なフィルターもなにもなくわたしたちに、わたしに伝えてくれたそれだけを信じていたい。

上述したように彼らは大変だっただろうなって推測すること自体、本来は野暮ってもんだろ、とも思っている。

最近の彼らにはドラマが多すぎて、踏み込むのに二の足を踏んでしまうのではないかなんて余計な心配をしてしまう。
そんなことない。いいんだ、別に。錦戸さんほどの男前が実在するのか不安だから存在を確認したいでも、安田さんの下ネタ聞いてみたいでも、横山さんのトランペット聴きたいでも、村上さんの脚の長さを近くで測りたいでも、大倉さんの顔を堪能したいでも、丸山さんの噂のファンサを拝みたいでも、なんでもいい。なんか楽しそうだな、くらいでライブに遊びに来てほしい(チケットは……チケットは……その、大変だけど)

だからわたしは誰かにライブどうだったかと問われたら、死ぬほど楽しかった!幸せだった!おいでよ!と言いたい。
何度反芻しても噛みしめても最高以外の言葉がない。
たぶんわたしたちが抱く感情は、それだけで充分なのだ。


十五祭、最高のお祭りだった!
楽しかった!円盤が楽しみ!!!!!
最高で最強の関ジャニ∞がだいすきだ!!!!!!!!!!!


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20190415 晴れ。

あれから一年。
思っていたよりもずっとあっという間でしたね。
 
あれからもう飽きるほど泣いたし、たくさんいろんなことを考えたし、結局自分勝手だったすばるのことを嫌いになんてなれるはずもなかったし、関ジャニ∞はただひたすらに前を見続けていてかっこいいしかないし、そんなに感傷的になることもないのかな、と思っていたのです。
昨日までは。
 
ツイッターを見ていて、何気なく目に入ったファンアートを見てぼろぼろに泣きました。
どんな気持ちが発生して泣いたのかは正直よくわからなかったんですけど、ただ涙が溢れてきてしまって、あぁわたしはもしかしたらまだ大丈夫じゃないのかもしれないなぁと思ったりもして。

あの一年前の会見は、実はわたしが唯一見られない映像です。七人のライブも、六人のライブも、最後のオモイダマも、生放送関ジャムのロマネもLIFEも、全部見られるんです。たまに泣いちゃうけど。
だけど、あの会見だけはどうしても見ることが出来なくて。
あの日から、ひたすら泣いてみたし、七人最後を噛みしめたし、六人のライブにもたくさん行きました。あぁ、すばるが生存報告をしてくれたりもしたね。
 
そのたびに嬉しかったり涙が出たりして、それももちろん嘘ではないし、わたしは六人の関ジャニ∞を心から応援しているし大好きだし、すばるのことも応援しているんだけど、それ自体は絶対に嘘じゃないんだけど。
それでも、もしも今でも七人の関ジャニ∞が途切れなかった道が存在するのだとしたら、わたしはそれに縋ってしまうんだろうなぁと思ったんです。
 
何度でも言うけど六人の関ジャニ∞は大好きです。
メインボーカルであったすばると亮ちゃんを立てていた丸ちゃんと安田くんの歌い方が変わった(気がする)し、鬼気迫るような、やったらな終わる、というようなわたしが見たことのなかったあのヒリついた(ように見える)関ジャニ∞は、きっとすばるが中にいたままでは引き出されなかった一面なんだとも思います。よこひなの関係性も、今のように距離が近くなることもなかったんでしょう。

たくさんもらった。かっこいいもかわいいも尊いも嬉しいも楽しいも大好きも会いたいもありがとうも、ありとあらゆるプラスの感情すべてもらったんじゃないかと思うくらい、有り余るほどたくさんもらった。
だけど、それとは全く別の次元で、わたしは七人の関ジャニ∞が続いてほしかった。
きっとこれはもうなくならないんだろうなと、一年経ってみて改めて思います。
六人でよかったと、もしかしたら思うときが来るのかもしれないけれど、その瞬間ですら、きっと全く別の次元で、七人で馬鹿笑いしている彼らを夢見ている。きっと。
 
ただこれは、決して今からすばるに戻ってきてほしいということではない。それだけは絶対にない。

自分にとってただ一つ最優先する、命を懸けられる夢である音楽を追いかけるために、あえて待つよと言った仲間を切り捨ててまで飛び出したすばるを、その手を引いて止めて、足にしがみついて立ち止まらせようとして、けれど最終的には背中を押し、六人でツアーを成功させたメンバーを、愚弄するじゃないかそんなもん。
 
わたしがイチファンとして望むのは、例えば丸ちゃんが加藤くんに、亮ちゃんがNEWSを辞めたちょっとあとに亮ちゃんがいるのを隠して加藤くんを飲みに呼んだ出来事を話しながら『あのときはごめん、今自分がこうなって、あかんかったかなって思う』(ニュアンス)のようなことを言ったり、大倉くんが『すばるくん元気かな』と想いを馳せたり、すばるがヤスくんに返事をしていなかったり。
そういう、なんとなくすばるが感じているのではないかと推測される負い目のようなものや、メンバーが感じているのではないかと推測されるなんとも言えない気持ちが払拭されて、こいつらほんとに七人グループじゃなくなったのか?ってこっちが思ってしまうくらいに、お互いの話ができる日がまた来るといいなということです。
こないだすばるとバーベキューしてんけどとか、海外で会うたでとか、すばるくんモンハンめっちゃレベル上がってんねんとか、こないだ渋やんに外国のお土産もらったぁとか、なんかそういう、そういう話を普通に、全然わたしたちが知らないところでもいいから、できていたらいいなぁ、とか思うわけです。
 
あとはとにかく、心身ともに健康でいてくれさえすれば。
頭のおかしいストーカー女やあることないこと書き立てる週刊誌記者とか、匿名だからと強気になって批判ですらない悪口を本人に届くように書くSNSの住人とか、そういう悪意にできる限り触れないで、彼らの人生の糧になるものだけが彼らに届くことを。美味しいものを食べ、美味しいお酒を飲み、わははと笑って下ネタを言い、それを続けることができる健康状態でいられることを。ただひたすらにそれだけを願っています。
 
オタクなので、区切りとか節目とか何年前の今日とか、そういう日になんだかすごくオセンチになってしまうね、というお話でした。
 
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20180715 ツアー初日 札幌公演。

7月15日 23時。
ツアー初日札幌公演が終わり、夕食を摂り終えてホテルでこれをしたためています。
セトリをきちんと書いているわけではありません。けれど山ほどネタバレをしています。
渋谷すばるきっかけで七人の関ジャニ∞に惚れた人間の独り言ですので、ツアーのネタバレNGの方などは自己判断でお進みください。


正直始まってみるまではどんな気持ちになるか全然わからなかった。
始まってみても感情はめちゃくちゃで、最初のメンバーの映像にすばるがいなかったことで、すばるがもういないんだということを強く強く感じて、涙が止まらなかった。
応答セヨから始まって、屋根の上で見上げた夜空〜のところがすばるの声じゃなくて、胸が痛くて痛くて、どうしてこの場にすばるがいないんだろうと思ったらまた涙が溢れた。

すばるの声で記憶されている歌が、別の人の声で聴こえてくる。嫌だ、いなくならないでほしい。
一曲目が終わったあとの亮ちゃんの挨拶で、この景色違和感あるよね。俺たちもあります。だけど、それはあの人がここにいた証ですって言ったときに、もうなんで泣いているのかわからないくらいに泣いた。
すばる、すばる。心の中で何度も呼んだ。

ライブが終わった今振り返ると、決別のライブだったように思う。
決別というか……七人だった関ジャニ∞をきちんと完結させて、六人の関ジャニ∞として歩き出す、決意のための最初の一歩で、その始まり。メッセージ性の強い曲が多く、大丈夫だよ、前を向いているよと言ってくれました。

すばるを思うと一瞬で涙がこぼれてきたけど、それでも関ジャニ∞を見ていたら楽しかったし、トークは面白くてすごく笑ったし、トロッコで近くに来てくれれば顔面偏差値が高すぎてきゃーきゃー騒いだ。
終わってみれば、これからのみんなになんの不安もなかった。

 

NOROSHIで亮ちゃんが「あら控えめなのねガールズ」をセクシーに、「手のひらが背に触れた」を力強く、鬼気迫って歌い上げてくれた。キングオブ男の突っ張っての部分は、他の誰かとにはならず、亮ちゃんがそのまま引き継いで、突っ張っての二人を永遠にしてくれた。錦戸亮があんなにも色っぽい表情をできるなんて知らなかったし、あんなにも迫力ある歌い方をしているのを見たことがなかった。
決して、決してすばるに甘えていたり遠慮していたわけではないんだと思うけど、それでもきっとすばるがいたら今日の亮ちゃんは引き出されなかったわけで。覚醒した。そんな表現が合うように感じた。覚悟を決めて、永遠がないと知りながらもなお永遠を願って走り続ける彼が、きっとこの先の関ジャニ∞を引っ張ってくれるんだろう。

丸ちゃんもへそ曲がりのド頭のパートや、他にも多くのすばるのパートを引き継いでいて、ベースを弾きながら歌う箇所も多くて、顔を歪めて力いっぱい歌う丸ちゃんには、きっと少なからず、尊敬してやまない自分の焦がれた大好きな人が歌ったパートを自分が歌うというプレッシャーもあったのだろう。今日という日がほんの少し怖かったと言ってくれた丸ちゃん。そんなことなかったね、そんなことを少しでも考えた自分が情けない、ごめんねと謝ってくれた丸ちゃん。またきっと一皮むける、そんな気がした。

すばるが最後に歌いたい歌として選んだHeavenly Psycho、ひなちゃんのボードソロから始まって、そこに横山くんのトランペットが入っていく。なくならない。すばると一緒に彼らが育てて、培ってきた音楽はなくならない。ズッコケですばるのパートをほとんどすべて引き継いで、楽器隊の間を動きながらかっこよく歌い上げる横山くん。すばるは男として一つの大きな決断をしました。僕たちは絶対すばるに負けませんって、ライブの中で初めてすばるの名前を出してくれた横山くん。ずーーーーーーっと、あの生放送のときからずっとMCとしてフラットなトークを貫いていた村上くん。今回もむっちゃんの彼はいなくて、村上信五であり続けたひなちゃんん。いつも以上に頼りになるお兄ちゃんたちでした。

BJで涙を目に溜めていた大倉くん。そのわけはわかるわけもないけれど、最後の七人の演奏ですら笑顔でやりきった彼の涙はとても綺麗で。Heavenly Psychoの「また登る太陽」のところ、オクターブ上のすばるのハモのところはだれにも引き継がず大倉くんのソロになっていて、寂しさが胸を打ったけれど、クロニクルの最後のハモを大切に取っておこうと思いました。どっしりを大きな樹みたいにしなやかでたくましい最年少。大倉くんの言葉にたくさん救われました。

今回は本当に大変だったやすくん。わたしはやすくんとすばる、通称やすばが本当に大好きで、音楽でつながったソウルメイト、運命共同体だと信じていたので、とにかくオモイダマの落ちサビとロマネの最後の亮ちゃんとのフェイクの掛け合いをやすくんが引き継いでくれたことが心底嬉しかった。彼が無事にこのステージに立てたことも嬉しくて、やすくんが「渋谷」と名前を出してくれたことも嬉しかった。生でわたし鏡を聴ける日が来るなんて思わなくて、赤い糸をバックに歌い上げるヤスくんを見て、あぁ、赤はいつでもヤスくんの中にもみんなの中にも流れてるね。今はなにより休養を。ステージに立ってくれてありがとう。また身体が万全になったら、しゃかりきに踊る姿も見せてください。

君がいなくても僕はきっと僕でいられると思う
君が僕にくれた言葉 忘れずに持っていくよ

まだすばるは、やっぱり消えることなんてない。
何を聞いてもすばるの歌を思い出してしまうし、ブルースハープの音がしないのが悲しくて仕方ないし、こんなに素敵なセトリなのに、こんなにみんながいいうた歌ってるのに、すばるはどこにいるのって何度も思った。そのたび涙が溢れたし、みんなの中にもすばるがいるのがありありとわかって切なくて寂しくて苦しかった。

だけど関ジャニ∞はやっぱり関ジャニ∞で、涙しか出なかったのに気がついたら笑っていて、最後の新曲披露ではみんなが強くて前を向いていて、かっこよすぎる新生関ジャニ∞に胸を打たれた。

大丈夫、きっと大丈夫。ハナからわたしたちが心配する余地なんてないけど、わたしたちが想像していたよりももっとずっと先を見て走っている彼らだからきっと大丈夫。

胸は痛いし涙も出るしまだ違和感はあるけど、全力で彼らを応援していけます。
あぁ、一つの結論が出せて本当に良かった。


WANIMAさんが作ってくれた新曲のサビ
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きっとずっと 辿り着くまで
もっともっと 遥か遠くへ
グッとグッと 涙堪えて
進むんじゃない 進めるんだぜ

もっともっと 夢じゃなくて
まだまだ 旅を続けよう
難しいことは後にして
始まるんじゃない 始めるんだぜ
--------------------------------------
鼓舞するような言い聞かせるような背中を押すようなこの曲が、六人最初のシングルでよかった。


『また会えたら歌おう』


EightからEightへの、EightからEighterへの、Eightからすばるへの。

 

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関ジャム生放送によせて

 

涙が止まらない。

今日は泣いたって泣いたって
いつか笑えるはず そう言って

歌詞の全てが今のみんなの心情を表しているようで、まだまだ終わらないからと歌いきる彼らを見ていられなかった。
見届けたいし、最後の彼らの演奏をこの目に焼き付けたいのに、涙が溢れて視界がぼやけていってしまう。


ここ数日の生放送やレンジャーなどで、とにかくとにかく、年上がしんどいときの末っ子組は本当に踏ん張るなぁと思っていたのだけど、一番気丈に、大丈夫、前を向いていく、次の準備をしている、と言い続けていた錦戸くんが一番最初に泣いて歌えなくなってしまったときに、正直なところ、あぁ、彼が泣けてよかったと思った。ここ最近の錦戸くんは、なんだかこのままいったらぼっきり折れたりしてしまわないか心配になってしまうくらい強く真っ直ぐに前を向いていたから。
泣いちゃうかもなぁって言っていた大倉くんは、すばるくんに向かって微笑んで、あの日交わした約束をずっと覚えているからってメッセージを送ってくれた。安田くんは終始なにかを受け止めるように噛みしめるように穏やかに笑っていたし、丸山くんも泣くもんかと力強く演奏をしてくれた。
きっと四人が村上くんと横山くんをこれまで以上に支えていくんだろう。

そして彼らの中で、渋谷すばるという存在のなんと大きかったことか。
もちろんこれはすばるくんに限ったことではなく、メンバー全員がメンバー全員に対してすごく大切な気持ちを抱いているんだと思うんだけど、だけどやっぱり一番中心にいるのって渋谷すばるなんじゃないかと思っていたから。

幼なじみがおもろいことしとる!って、自分のセッションよりもすばるくんのセッションを見ちゃうひなちゃん、世界的な歌手に正面切って歌でぶつかっていく友を素晴らしいと思う横山くん、最後まで強火すばる担だった丸ちゃん、渋谷が楽しそうに笑顔で歌っているのが本当によかったと笑う、すばるくんを愛で包んでくれた安田くん、かっこよく去ってほしいと力強く言っていて、だけど最後はやっぱり寂しくて涙を見せた錦戸くん、2006年に隣で歌ったことを大切に持っていた大倉くん。

みんながみんなすばるくんを愛していたんだな、と。

そして一瞬崩れた錦戸くんに気づいたのか気づいていないのか、絶妙なタイミングで大きくパフォーマンスをする大倉くん。全員が崩れることはないね。誰かがしんどいときは誰かが笑顔で支える、それが関ジャニ∞だね。

 

最後にすばるがエイターと叫んでくれて嬉しかった。たぶんあの会見以降、一番欲しい言葉だった。嬉しかった、という感情一つでは決してないんだけど、やっぱりまだなんで行っちゃうのって思うし、こんなに泣きそうなほどみんなのことが好きなのに、関ジャニ∞が好きなのにどうしてって思う気持ちもあるし、これからの渋谷すばるを力いっぱい生きてほしい気持ちも山ほどある。
三か月前の自分に言ってあげたい。最後の日を迎えても、感情はまだぐっちゃぐちゃだよって。

錦戸くんが、最後は寂しかったって話しているときに全然顔を見られていなかったね。最後に自分の言葉で話すときも、どこか違うところを見て、泣かないように泣かないようにしているように見えたすばるくん。
自分が勝手をするんだから自分が泣くのは違うという意識だったのかもしれないけど、それでもわたしはすばるくんの剥き出しの感情をひとかけらでもいいから吐き出してほしかったな。いつかそういう機会がどこかにあればいい。

 


しんどいのはたぶんここから。
ジャニ勉からもクロニクルからも関ジャムからもペコジャニからもすばるくんの姿が消えるんだ。まだまだ実感のわかないわたしは、こうやって一週間少しずつすばるくんがいなくなったことを実感させられて、来週の札幌で、六人になったことを痛感させられる。

わたしはまだ全然わかっていないのだろう。
もしかしたらまだまだずっと、渋谷すばるの姿を探し続けるのかもしれない。
だけどそれでもいいって大倉くんが言ってくれたから、自分の気持ちがどうかは、札幌でみんなを見たときに感じた想いを大切にしたいと思います。


だけどとにかく今は、七人で素晴らしいセッションをやりきった関ジャニ∞に、横山裕に、村上信五に、丸山隆平に、安田章大に、錦戸亮に、大倉忠義に、そして渋谷すばるに、精一杯のありがとうと愛を届けたいと思う。

渋谷すばると六人の関ジャニ∞に幸多からんことを。
生放送関ジャム、最高でした。ありがとう。

 

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渋谷すばるのいない世界

 

関ジャニ∞ド新規の独り言です。
4月15日から心が不安定なので、明日のレンジャーが更新される前に、なんとか少しだけでも気持ちを整理できないもんかと書いています。
文章は支離滅裂でしょう。

百人いれば百通りの考えがあり、みんな違ってみんないい。自分の心を守ることが第一。
なので少しでも不快になったり、あかんな、と思ったらすぐに読むのをやめてください。

最初はわたしがエイトと出会った話なので、興味がなければスクロールで飛ばしてください。

 

 

 

わたしが渋谷すばるに出会ったのは、俗にいうジャニーズJr黄金期のときだった。8時だJを見て、素顔のVHSを買って、何度も何度も見て、一時停止をしてここ最高って騒いでた。
(当時の推しは小原くんとすばるくんと矢代くんでした)

中学生になって部活が忙しくなって、だんだんオタクの方向性が変わって、漫画とかアニメに行ったり声優に行ったり2.5次元にハマってみたり、気が付いたら社会人になっていた。
そんなときだ。忘れもしない、2015年12月31日。仕事柄盆暮れ正月は繁忙期で年末年始に家にいられることも多くなく、部署異動してすごく久しぶりに年越しを自宅でできる、そんな年だった。

 

ジャニーズカウントダウンライブの、TV放送最後の企画。初夢2ショットの1位で出てきた、滝すば。小走りでステージに出てきて懐かしい『明日にむかって』を歌う二人は、当然だけどわたしの記憶よりもずいぶんと大人になっていて、だけどあの頃の気持ちを思い出させるには十分で、気が付いたら何度も何度もそこだけ見返して、自動録画に入っていたそれを自動削除されないリストに移し替えた。


(あぁ、わたし昔ジャニーズ好きだったなぁ。渋谷すばるも好きだったなぁ)なんてぼんやり思って、ふと自分が素顔のVHSを買っていたことを思い出した。1と2しか買っていなかったけど、押入れを探したらなんと出てきて、しかもVHSを見られる機材も残ってた。その日からわたしは、暇があれば素顔を流すようになっていた。

そのとき、別のジャンルで仲良くしていたひとに、実は最近渋谷すばるが気になってて、なんて言ったら、そのひとは根っからのすばる担当のエイターで、じゃああれもおすすめ、これもおすすめ、アレは見た?これは見た?このCD聴いた?なんてたくさんのものを勧められて、メンバーの関係性とか、わたしが知らなかった間の滝すばのこととかをたくさん教えてもらった。
二人で同時に同じDVDを流して、チャットでここが最高、ここがかわいい、なんて夜明けまでずーーっと話していたこともある。最高に楽しい時間だった。ほどなくして(とはいえ夏頃)わたしはファンクラブに入ることになる。

 

好きなメンバーには、丸一日悩みに悩んで安田章大と書いた。
だけどそれでも、渋谷すばるは特別だった。

 

バラエティを見て、エイタメに行って、友人に関ジャニ∞いいよっておすすめして、そのプレゼンの為にパワーポイントで28Pくらいのレジュメを作ったりして、本当に本当に楽しい日々だった。これからもずっと続くと思ってた。
一緒に現場に行く友達に、次のライブからはわたし安田くんとすばるのうちわ買うわ……って宣言したのが去年の8月だった。

 

 

忘れもしない先週の金曜日。
4月13日。

会社でもエイト好きを公言していたわたしに、フライデーの記事をネットで見た課長が言った。

 

渋谷すばる、脱退するの?』

あのときのわたしはなんの疑いも衒いもなく、『ファン的には一番ありえないですね』って笑って返すことができた。だって、それほどまでに渋谷すばるはファンを愛していて、メンバーを愛していて、関ジャニ∞を愛しているんだっていう自信があったから。

だけど土曜日に、明日会見があるっていう情報が流れてきたとき。こんな記事出てるねってメールをくれたひとに、脱退はないと思いますけどねって返しながら、なんだかうすら寒い気持ちになるのを感じてた。ないよね?海外ツアーの発表だよね?何もないよね?ふつふつと浮かんでくる、まさか、とか、もしかして、を無理やり振り払って『ガセじゃないですか?』って続けて返信した。
妙に頭が痛くて、その日は早い時間に眠りについた。

 


そして運命の4月15日。
9時半頃に届いた、大切なお知らせのメール。
嫌だ、嫌だ。きっとガセネタの否定でしょ?対応早い。やるじゃん事務所。こういう感じのお知らせでしょ?なんてツイッターで軽口を叩くこともできたけど、心中穏やかじゃなかった。

 

地獄みたいな1時間半だった。

 

11時。繋がらないのはわかっていたから、何度も何度もページを更新した。
そっけないページの構成に、いい話でないことだけをまず理解した。

 

一通り目を通したけど、何を言われているのかわからなかった。
わたしはいったい何を見ているのだろう。これは本当に彼らの言葉なのだろうか。
あんなにもグループを愛していた七人が、グループから誰かがいなくなる報告をする文章なんて、できれば一生見たくなかった。
それでもみんな、自分たちのこともだけど、それと同じくらい渋谷すばるの決断を尊重して、渋谷すばるの行く末がよきものであるよう願っていた。

 

大倉くんの、すばるくんの好きなところを羅列していた文頭を見て、たまらず化粧をしているふりをして、母に見えないように涙を拭った。彼の最後の一文で、その『どこか』に関ジャニ∞のメンバーはいないし、『誰か』はわたしたちではないのかもしれないという絶望感を抱いて胸が痛くなった。

アッコにおまかせの会見は、きちんとは見られなかった。
見たら泣いてしまうのがわかっていたから、家族のいるところで泣きたくない、ただその一心で目を伏せた。


わたしに彼らのことを教えてくれたすばる担の彼女は、無理、と言った。ずるい、って悲しんでた。ほかのメンバーに夢を見せておいて、自分の夢だけを追って出ていくなんてずるい。すばるが大好きだけど、関ジャニ∞としてのすばるが好きすぎるから、応援できるかはわからない。悲痛に伝えてくれる彼女の文章を見て、わたしはどうなんだろう、と考えた。

わけがわからないまま、応援したいな、と、そうツイートして外へ出た。精一杯の、わたしの思う正解だった。今にしてみれば、わたしが読んだメンバーの文章は少なからずすばるくんの決断を認めて背中を押すものであったから、わたしだけがそれをできないのが、酷くいけないことのように感じていたのかもしれない。
その日は用事があって外に出たのだけど、なにか一つのきっかけがあったら涙腺が崩壊しそうで、普段出かけるときは常にエイトの曲を聞いているのだけど、この日はイヤホンは持って出られなかった。

 

外に出ている間に、いろんなところから流れてきた会見の全文を読んだ。それを読んでもまだどこか夢心地で、盛大なドッキリであれなんて思っていた。わたしの涙腺は、ギリギリのところで崩壊を免れていた。だけど帰宅して味もよくわからないまま夕飯を食べて、一人でテレビの前で関ジャムを見始めたときにそれはやってきた。冒頭で会見が流れ、夏までは、の単語が聞こえた瞬間に、わたしの頭が何かを理解して、その瞬間に怒涛の勢いで涙が溢れてきた。


まだわけはわからないままだった。
なんで、どうして、いやだ、いなくならないで。
信じられない。すばるくんが、どうして、なんで。どうして今なの?海外ツアーは?関ジャニ∞渋谷すばるじゃないの?なんで?

 

 

関ジャムは殆ど覚えてない。
そのままベッドに入って、意を決して会見の映像をすべて見て、子供みたいにわんわん泣いた。

 

この日が来なければよかったって泣く横山くん。本当はそんなに強い方じゃないのに、こんな時でも場を仕切ろうとしてくれる村上くん。どういう顔をしていいのかわからなくて笑っているようにも見える丸ちゃん。最初は同席するの嫌だったとか、すばるくんの勝手な決断とか、不満を隠そうともしない大倉くん。尊敬する先輩の、ひとりの男としての決断を、止められないんだって思っちゃった亮ちゃん。この場にいたかっただろうに、療養中で来られなかった安田くん。

なにより、まっすぐ記者の目を見て、真剣な表情で自分の決意を語るすばるくん。
自分の人生を優先させて、関ジャニ∞に支えられて甘えさせてももらって、それでも自分の責任下で、今後の人生を音楽で全うしたいと断言したすばるくん。バラエティが嫌だったことは責任を持って否定してくれたすばるくん。
なんて嘘がなくて、潔くて、不器用でまっすぐなのだろう。あまりにもわたしが愛した渋谷すばるすぎて、涙が止まらない。

 

心が風邪を引いたって言われたり、ライブで全然笑わなかったり、目に見えてしんどそうだったすばるくんが過去にいたり、そういうのも聞いたことがあったら、すばるくんが、自分一人で音楽を追及したいっていう夢を持てたこと、それ自体は嬉しいんだよ。誰目線だって感じだけど、あぁそこまで思えるようになったんだね、よかったね、って、そう思う気持ちにも嘘はないんだ。
今思うと、わたしは渋谷すばるを舐めていたのかもしれない。わたしは、渋谷すばる関ジャニ∞以外では生きていけないと思っていたんだ。

 


だけど、応援したいって思ったけど、見届けたいけど、でも嫌だよ。ずーっと七人で笑っていてほしいよ。やだよやだよ。関ジャニ∞のすばるでいてほしい。
応援したい気持ちにウソなんてない。ただ、どうしてそれが七人の夢じゃないんだろうって思ってしまうんだ。

音楽を愛する渋谷すばるを愛してる。
音楽がなかったらいまのすばるくんがいないのもわかるけど、だけど連れて行っちゃうことないじゃない。七人で一緒に見る夢じゃダメだったの。
お願い音楽の神様、すばるくんを連れていかないでって思ったけど、だけどやっぱり、そもそも音楽がなかったら今のすばるくんは存在しなかったし、わたしがすばるくんと出会うこともなかった。本当に本当に狡くて酷い男だった。あまりに潔すぎて真っ直ぐすぎてわたしの好きな渋谷すばるすぎて、嫌いにもさせてくれない。


不謹慎かもしれないけど、近親者が亡くなったときの気持ちにも似ていた。
自分の意志も感情も願いも関係なく、自分が知らないところで大好きだったひとがいなくなる、あの、足元が急に不安定になるみたいな空恐ろしい感覚。
どこに何をぶつければいいのかわからなくて、氷で目を冷やしながらベッドで泣きじゃくった。こんなときでも明日の仕事のことを考えていて、悲しいほどにわたしは社会人だった。

朝起きて瞼が少し重くて、なんで目が腫れてるんだっけと思って、理由を思い出してまたベッドで泣いた。

 

 


ここから二日経ったけれど、わたしはまだ自分の答えを出せていない。

月曜日はぐちゃぐちゃだった。ギリギリ出社したけど、持っていくはずのもの三つくらい忘れたし時間間違えてタクシー使ったし、夜自宅で気が付いたけどパンツは裏返しだった。

気持ちの整理がつかなくて、自分の感情がわからなくていろんな意見を読んだ。ツイッターを、ブログを読んで回った。
前向きに応援しているひとも、悲しんでそこから動けないひとも、降りたひとも、憤ってるひともいた。たくさんのひとがいた。あたりまえだけど答えなんかなかったし、だれが言ってることもわかるし、だけどどれも全部自分とは違った。

 

ただ突きつけられた『もう七人を見ることはないかもしれない』ということだけを考えて、いつか買おういつか買おうと思って先延ばしになっていた、LIFEの初回と元気が出るCDの初回Aを買った。七人で音楽を楽しんでいる彼らが好きだった。七人で楽曲を製作したりする絵を未来に望めないなら、過去に縋るしかないじゃないか。そんな想いだった。届いても見られるかどうかはわからない。

 

今だって嘘だって言ってほしいし夢であってほしいけど、いつか『関ジャニ∞辞めるとは言うてへん』って戻ってきてほしいみたいなツイートを見るたびに、それ最高って感情と、それは大好きな関ジャニ∞を絶ってまでひとりで旅立つ決断をした渋谷すばるの意思を舐めているのではないかって感情がぐっちゃになる。
そして万が一、億が一そうなったとして、おかえりって笑うみんながいてほしい気持ちと、甘えんな、あんだけ止めてもお前がやめるっちゅうたんやろってきちんと突っぱねる六人であってほしいって気持ちもどっちもあって、ぐるぐるぐるぐる考える。

 

整理をするためにだらだらを文章を書き始めたけど、まったく整理なんてされやしない。

 

横山くん。泣いてくれてありがとう。みんなも全部綺麗に飲み込んでるわけじゃないよねってわかってよかったです。
村上くん。口下手な男をひとりで立たせないでくれてありがとう。みんなの言葉がきちんと聞けて少し救われました。
丸ちゃん。好きすぎてなにも言えなかったって言っている丸ちゃんが少し微笑んでいたね。どういう顔してしていいのかわからないときに笑ってしまう丸ちゃんだから、少し心配です。
亮ちゃん。止めらんなかったすね、って言う亮ちゃんは誰よりも渋谷すばるのファンだったね。MCのときみたいに、うん…、って止まるのを見て、本音なんだなって思ったよ。
大倉くん。勝手な決断とか最初は同席したくなかったって不満そうに言う大倉くんは誰よりもファン目線でした。あなたの言葉に心が軽くなりました。
安田くん。関ジャニ∞の、間違いなく岐路のひとつになったこの瞬間に立ち会うことができなかったあなたの心は今何を想っていますか。

 


いつも通り朝は来て、わたしもいつも通り出社して仕事して帰ってきて、事態はまだ飲み込めてないし噛み砕けてないし、毎日毎日会見の映像とかみんなのコメントとか過去の動画とかを見ては泣いている。少しずつエイトの曲を聴けるようになったけど、どれもこれもがすばるくんに繋がっているように聴こえて涙が止まらなくなるときがある。


録画を見ていても、この収録をしているときはもう辞めたいって伝えてたんだなとか考えるのがしんどい。島唄のときにあまりにも安田くんが優しい目ですばるくんを見ていたから、その放送を見たときのわたしは泣いちゃうとか興奮してツイートしていたけど、この収録のときはすでにすばるくんは意志を伝えていて、あの優しくて柔らかな瞳には、すばるくんと一緒にセッションできるカウントダウンが切られて、残りの数少ない彼の歌を愛して大切にしようという安田くんの気持ちが籠っていたんじゃないかなんて思って、放送日とは違う感情で泣いた。2月15日に最初に意志を伝えたのなら、それはつまり村上くんのイフオア開幕数日前で、あぁ、なんてことだろう。

 


時間ってすごい。否応なく経過するし、そうだと思っていなくとも、少しずつ少しずつ、だけど確実に心を落ち着かせていく。
ほんの少しだけ落ち着いた今は、わたしはとにかく六人のことが心配なんだと気がついた。

 

わたしは安田くん担当を名乗っていたけど、やっぱり関ジャニ∞の柱はすばるくんだと思っていた。それはもうグループイコールすばるくんだったと言っても過言ではないかもしれない。そして、彼以外の六人は少なからず心の一部を彼に預けていたり捧げていたりする部分があるんじゃないかと思っていた。それはすばるくんも同じで、異なる何かを少しずつほかの六人に預けて、それでバランスをとっているグループなんだと思ってた。
そして六人がすばるくんに預けたものの一つには、なにかしら音楽で繋がるものがあって、それが関ジャニ∞の音楽の一つの支えだったんじゃないかと思っていた。関ジャニ∞の武器のひとつだった音楽の中心にいた渋谷すばるを失って、残された六人は崩れないでその武器を持ち続けられるのだろうか。


メンバーが笑っているのを見ているだけで泣きそうになる、この時間が永遠に続けなんて願わないけどせめてあと少しと願った亮ちゃんは、憧れの存在を失って、そしてこの後おそらくすばるくんの多くを引き継がなくてはいけなくて、疲弊してしまわないだろうか。想定外の展開も全然Okeyなんて歌うほど、このグループならどこまででも、って思っていた彼のことが気がかりです。

願わくは、どうか六人が笑顔を絶やさずに仕事をしていけますように。

 

 

 

 

 

 


すばるくん。

残りの人生を音楽で全うしたいって言ったとき、本当は、素直にカッコいいって思ったよ。わたしは命懸けでなにかをしたことなんてないから、自分たちのこれまでを躊躇なく命懸けって表現できる姿は、心底素敵だし好きだなって思った。
だけどやっぱり思っちゃうんだよ。どうして、って。すばるくんの夢の中に、いつからメンバーがいなくなっちゃったの。すばるくんに引っ張られて音楽を手に入れ始めたみんなは、急にすばるくんに手を離されてどうしたらいいの。宙ぶらりんだよ。
やっぱりすばるくんと一生添い遂げるのは音楽なのかな。好きだけど、大好きだけど、まだ笑っていってらっしゃいは言えない。

 

唇を舐める癖が可愛くて好きでした。はにかんだ笑顔に癒されました。祈るように歌う姿に心を揺さぶられました。生き生きと下ネタを話す姿に大笑いしました。村上くんを崩れ落ちるほど笑わせ、たまに横山くんに甘え、丸ちゃんのセクハラ疑惑を必死に訴え、亮ちゃんと気まずく突っ張って、安田くんにはどことなくお兄ちゃんのような優しい顔も見せ、大倉くんと独特な世界観で笑いを作る。こんなに大好きなのに、今はまだあなたを見ることができません。


運命共同体。どうせ死ぬまで一緒。って安田くんに送った言葉を愛していたよ。
きったないつるっぱげのじじいになっても、七人の真ん中で、ヒナちゃんと、二人にしかわからないことで笑っているって信じ切っていたよ。
友達はメンバーだけって言ったあなたがいじらしくて切なかったよ。
7つ根っこで引っ張り合って、これから先十年後だってきっと変わらずこんな感じで、いつでも笑ったり泣いたりでいてくれるって、根拠なんてなかったのに、驚くほど強く想っていたよ。


あなたがいなくなった関ジャニ∞の世界が、今はまだ想像できません。
だってわたしの聴いている曲には渋谷すばるがいる。
さよならとも言えないし、ありがとうもいってらっしゃいも頑張っても言えない。

だけど結局、あなたを嫌いになることなんて到底できない。

 

 

 

なんの整理にも解決にもならなかったけれど、わたしは渋谷すばるも含め、彼らを応援したいと思っている。
いつからとか、できるとかできないとかは置いといて、そうしたいんだ。

ひとりになって歩き出したあなたの歌声を、次にわたしが聴けるのがいつなのかわからない。聴けるのかもわからない。
だけど大倉くんと一緒で、わたしも、あなたの歌声がどこかで誰かの心に響くのを祈っています。

 

二年間、楽しい時間をありがとう。
七人で笑っている関ジャニ∞が大好きでした。

 

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