20191114 忘れてもらえないの歌という舞台

 
 
 

 

ありがたいことに何度か観劇することができたので、人物観を中心に、感想とか疑問点とか印象的なセリフとかをつらつらと書きたいと思います。舞台を観劇していないとなんのこっちゃわからない内容です。

―何を求めて、何にしがみつき、何を手に入れられなかったことで“負けた”と思うのか。
―とびきり不幸な愛の物語。
この公式の言葉から、彼らが一体なにを愛し求めたのかも少し考えたいです。とても長いです。

ストーリー概要
舞台全体に関して
個人に関して
・滝野亘
稲荷義郎
・良仲一矢
・芦実麻子
夜は墨染めに関して
先行トレーラーに関して
その他印象に残った言葉
最後に


 ●ストーリー概要
床屋見習いだった滝野亘は空襲で家と家族を失い、生きていくためにカフェガルボのバーテンだった瀬田(ベース)、そこの常連だった良仲(ピアノ)、稲荷(サックス)、そして英語の歌を歌える売春婦の麻子(ボーカル)、瀬田の連れてきた曽根川(ドラム)とともに、進駐軍相手にジャズを演奏するバンド・東京ワンダフルフライとして生活するようになる。

何年かバンドをするうち、バンド内で方向性の違いが勃発。良仲と言い合いになった曽根川がバンドを去ったのと同じくして、サンフランシスコ講和条約の発効により進駐軍も日本から引き上げる。バンドは流浪の日々となり、ドラムとして川崎が加入。鉄山一家が所有するクラブの雇われバンドに。
皆が音楽で安定した生活を送れるようにとサラリーマンになることを提案する滝野に、音楽は芸術であり金がどうこうというものではない、やりたくもない音楽をやるのは受け入れがたいと、相容れなくなってしまった良仲がバンドを抜ける。

残った面々と元拾い屋のオニヤンマで滝野を社長に会社を作るも、なかなかうまくはいかない。企業コマーシャルソングの歌詞を書いた稲荷がこんなものを書きたいわけじゃないと会社を辞めることを宣言したタイミングで麻子が売春婦であったことが企業に知られ、上がっていたレコード発売の話も取引もすべてご破算。社員たちは全員バラバラに。

数年後、滝野はカフェガルボを買い取りバーテンをしていたが、借金は膨らむばかり。一度は音楽をやめようとギターを売りに行くが、そこでかつてのカフェガルボの歌姫、レディ・カモンテと再会する。「したいようにしろ、信じ続けるしかない」というカモンテの言葉に、再び東京ワンダフルフライのメンバーを探し出しカフェガルボに集めた。
メンバーが揃うなら再結成してもいいという良仲だが、川崎はロカビリー歌手として曽根川のマネジメントのもと、すでに人気歌手となっていた。

川崎を引き戻すことは叶わなかったものの、曽根川からの仕事で、全員で新人歌手のデビュー曲を作ることに。麻子の経験の語りを稲荷が歌詞にし、良仲がイメージからコードを指定。滝野がそれを弾きながら良仲がメロディーをつけ「夜は墨染め」を完成させる。
しかしできあがったレコードに彼らの歌は使われておらず、滝野たち騙されたのだと知る。またしてもバラバラになったバンドメンバーと、借金を返せず差し押さえで解体されるカフェガルボ

店に来たレディ・カモンテに、一度でも人に聴いてもらえたなら忘れられたとしてもいい、僕らの歌は誰かに忘れてもらえることすらできなかったと零す滝野に、歌ってみてと告げるカモンテ。涙ながらに歌い上げた滝野に、いい歌だった、いつかきちんと忘れてあげるとカモンテが優しく微笑む。滝野がハハ、と笑い、終幕。


●時系列
1940 幕初め。滝野はこの時点で床屋見習い。
1943 稲荷、志願兵として満州へ。滝野が徴兵されていない理由は不明。
1945 東京大空襲。滝野と良仲がカフェガルボで出会う。
    滝野、瀬田、良仲、稲荷、麻子、曽根川がバンド結成。
1952 講和条約の制定。アメリカ軍撤退。曽根川脱退。バンドは流浪に。
1954 鉄山のクラブの雇われバンドをしている。良仲脱退。
1957 東京タワー建設開始。会社設立済み。
    麻子が売春婦だったことが明るみになり、全員バラバラに。
1960 滝野がバンドを再招集~終幕


 ●舞台全体に関して
結論から言うと、わたしはこの舞台を「滝野が一人で過去を振り返っていたもの」として認識しました。実際に生きている人間としてそこにいたのは滝野とカモンテだけだったのではないか、と思っています。あの記者はイマジナリーというか、誰かと思い出話をしたかった滝野の妄想の産物なのではないかと。
ずっと過去を振り返る視点で滝野と記者がやり取りをしていたのが、ラストのカモンテ登場のタイミングで時間軸が現在とイコールになる。にもかかわらずあの記者が一度も滝野以外と話をしていない点と、カモンテが記者を認識した表現が一度もなかったので、そうなのかもしれないなと思いました。

大事なところで歯車がカチッと噛み合わない、寂しくて苦しい舞台でした。
戦時中・戦後を懸命に生きたひとたちのままならなさ。わずか二十年の間に大きく変わった日本という国と、時代。そこにうまく乗ってついていけた人間となにをしても流れからはじき出されてしまった人間の対比が、わたしには残酷に見えました。仕方のないことだと思うし、本当にこういうひとは多くいたんだと思うのだけれど。


初演で滝野が「いいじゃないですか。忘れてもらえるなら」と言った瞬間にタイトルの意味がわかり、背中がひゅっとしたのを覚えています。息をのんで、その後の歌で必死に涙を堪えていました。
ただそのあと何度か観劇しましたが、あまり泣くこともできず、ただただ苦しかったです。
最後の笑顔は、わたしには【辛いことを隠している方の笑顔】に見えました。明確な理由はありません。

なにかひとつの言葉や行動のタイミングが違ったら、もしかしたら異なる終わりもあったのかもしれないと思うとより一層ググッとなります。全編通して原因と結果や、“こう”という答えが描かれている作品ではない分、様々な感じ方があって、わたしにとっては重い舞台でした。

安田さんはパンフか雑誌かで、「最後に何か、希望を感じてもらえたら嬉しいです」とおっしゃっていたのでずっと考えていますが、わたしはあそこから希望を拾うことができておらず、納得できる答えが見つからないのでしばし己への宿題とします。


 ●個人に関して
 ・滝野亘
調子のいい男。辛い気持ちを隠すひと。口がうまいひと。プロデューサー気質。金が好きなのではなく生きることが好き。音楽が好き。
どうにも器用そうに見えて不器用なひとだという印象です。頭の回転は速いし弁が立つ。辛いときほど笑ってしまうので、そうと知らないひとからは軽薄にも見える。それ故に音楽を愛する気持ちが見えず、音楽を金儲けの手段にしてるように見られることもあって、けれどそんな誤解が生じているなんて気づきもしていなかった。

最後まで疑問だったんですけど、滝野は一体どこでそんなにも音楽に魅せられてしまったんだろう。空襲の日レコードを守りに来た良仲に「こんなときにレコード拾いに来てるやつは死ぬでしょ」と馬鹿にするような明るい笑いを向けながら、自分は金を稼ぐためにウィスキーを盗もうとする。そのままの彼だったら間違いなくうまく生きることだけを優先しただろうに。

……とこれを打ちながら考えていて、もしかしたらあそこかな、とひとつだけ浮かんだのが、倉庫で初めて演奏がうまく行った日、でした。
噛みしめるようにみんなに素晴らしかった、キラキラしていたと告げて拍手を送り、大袈裟だと笑うメンバーになおもなにか言い募ろうとするも、オニヤンマに演奏手配をしてもらう話が出てぐっと飲み込んでしまう。もしかしたら、あの言葉の先が聞けていたなら、わたしもバンドメンバーも、滝野の魂が「音楽が好きだってこと」だというのを信じられていたのかもしれない。つくづく、自分のことは飲み込んでしまうひとなんだなぁ。
それと同時に、千秋楽にして初めて、最後まで楽器を手放していなかったのは滝野なんだよなと不意にきちんと認識してボロボロ泣いたことを思い出しました。わたしが思っていたよりずっと、滝野の魂は音楽が好きだったのかもしれないな。

恐らく、一幕最初の滝野だったらガルボを買い取ったりそこを歌声喫茶としたりギターを手放さなかったりはしないんじゃないかなと思うんです。たぶん彼はもっと、その時代に合っていて自分にも合っていて、楽しく、できるだけ楽に生きていくための術を得ることができた。進駐軍が日本を去った時点で、そのとき手にしていた大金を運用しながら生きていくこともできたのでは?
良仲の「まだ稼ぐのか!?」いう心底驚いた言葉がそれを物語っている気がします。1ステージが普通のひとの一ヶ月の給料。現代に置き換えて1ステージ20万として、仮に週四日、七年間演奏したとしたら進駐軍が去るタイミングで稼いだ額は約1億2千8百万。毎日演奏していたのだとすればもっとです。
だけど滝野はそうはしなかった。手持ちのお金を切り崩していたのかはわからないけど、どう見ても進駐軍相手よりは稼げない雇われバンドを各メンバーにやいやい言われながらもずっと続けていた。
 
彼がこだわっていたのが「音楽」なのか「東京ワンダフルフライのメンバー」なのかは正直わからないままですが、それでも彼の愛したもののひとつが“音楽”であったことに変わりはないのかなと思います。

あと、滝野が結局バンドメンバーのことを仲間だと思っていたのかどうかもいまだに少し疑問です。

―滝野さんが仲間と出会ったのは、床屋じゃなくてダンスホールなんですね? え? あぁ、はい。仲間とは言い切れないんでしたね。(記者の男)

舞台序盤のこの言葉から推察するに、おそらくイマジナリー記者に対して「そんなんじゃないですよ」とか「仲間と言えるのかな」的なことを返したのではないかと。
けれど終盤で古物売りの男の「仲間がいないのか?」の問いには無言で返答なし。カモンテの「ほかに帰ってくるひとは?」の問いへは「僕の仲間がいました」と言っている。舞台後半の記者の「随分残酷な言葉を動機に仲間を再び集めようと思ったんですね」という言葉の“仲間”は否定しない。いったい滝野はメンバーのことを仲間だと思っているのかいないのか、カモンテにわかりやすいように仲間という名詞を用いただけなのか。
う~ん、ここの矛盾は最後まで昇華しきれなかったです。もしくは滝野の中でも答えは出ていなかったのかな。仲間という言葉で表せるような気もするし違う気もするのか。

鉄山に「一人で頑張りたかったわけじゃないんですけどね」と言ったり、鉄山の「まさかここでみんなを待ってるわけじゃなよな? そいつはロマンチックが過ぎるぞ」という言葉に「まさか!」と笑顔を返しつつも、明らかにその言葉を信じられない絶妙な間がある。個人的には鉄山の言葉で初めて彼らを待っている自分に気づいたのかもしれないな、と思うのですが、それも正直定かではないですね。
「国破れて山河あり、バンド破れてこの店あり」。この言葉も、滝野の胸になにかを刺したんだろうな。

そして「どうせ詰めるなら希望にしときません?って思います」とか言うくせに、滝野自身はどちらかというと過去に対しては悲観的で懐疑的なひとだな、と思います。

―滝野さんが仲間と出会ったのは、床屋じゃなくてダンスホールなんですね? え? あぁ、はい。仲間とは言い切れないんでしたね。(記者の男)
⇒「仲間と言えるのかな」というようなことを返した?

―バーテンに、作家志望、ピアニストになりたかった男に、床屋。よくそれでうまくいきましたね(記者の男)
⇒「うまくいったと言えるのかどうか」と返している。

―それでも会社は作ったんですね。……そりゃあ去る者はいたんでしょうけど。(記者の男)
⇒前半のどちらかというとすごいですねというニュアンスの次にこれがくるということは「みんなというわけにはいかなかったですけど」とか「賛否ありましたけどね」とか?

振り返りながら話す滝野はことごとく否定的なんですよね。
記者が滝野のイマジナリーだと仮定すると、滝野はあの、解体される寸前のガルボでひとり過去を思い返しながら、あれは正しかったのか、どうしたらうまくいったのか、間違ってはいなかったか、うまくいく道がなかったのかを模索しているのかななんて思ってしまって、ますます苦しいです。どうにかだれかに忘れてもらえる歌にならないものかとひとり寂しく空襲前のことから思い返して違う道を探していたのかと思うと胸がぐうううってなってしんどい。
歌い終わって泣き崩れたときも、完成した東京タワーがそびえる美しい夕焼けと、なにもかもなくなってしまったカフェガルボのまっさらさが遠すぎて痛い。

最後の最後、滝野の心にはなにかが残ったのかな。希望でも絶望でも、なんでもいいから、なにか。 
絶望が詰まっていると言った麻子に「いいんじゃないですか? なにかしら詰まっていれば。心はね、空っぽじゃ生きていけないんです。(中略)だから、なにもないよりはずっっっとマシです。ただ、どうせ詰めるなら絶望よりは希望にしときません?って、思います」と返した滝野。
彼はもしかしたらあの空襲で一度空っぽになって、絶望が詰まっている状態も経験して、たどり着いたのが希望を詰めることなのかな。夜は墨染めを歌いながら、詰め込んできた希望がぽろぽろ涙と一緒にこぼれていったのかもしれないな。

滝野だけでものすごく長くなったけれど、書いていてもとにかくしんどい。どうにか滝野が幸せになる道がこの先にあるといいなと願っています。とはいえ、これは飛び切り不幸な愛の物語なので、なんの救いもなく滝野はこのまま彼の求めた希望を得られぬままに生きていくのかもしれないけれど。

 ・稲荷義郎
作家志望。次男。とにかく受け身。あまり前に出ず、滝野とは違う意味で言いたいことを飲みこむひと。彼の中では滝野は頭がよく、良仲はジャズに筋が通った人間、瀬田と大は手先も人間としても器用で、自分にはなにもないのだそうです。ずっと滝野視点で進む作中で、他のメンバーをどう思っているか言及したのはおそらく彼だけでした。
パンフレットで福士さんもおっしゃっていましたが、登場人物の中では唯一戦場に行っているひとです。

―唯一戦場に行っているのが、僕が演じる稲荷。彼自身が戦場で実際に人を殺せたかどうかはわからないけど、目の前で死んでいく人の姿は相当数見ていたはず。(中略)虚無感、喪失感はきっと誰よりも感じていたと思います。
―このお話に出てくる(中略)“ポジティブな生きる力”は戦争に行って帰ってきた人の目にはどう映っただろう。

舞台「忘れてもらえないの歌」パンフレットより


わたしは戦争というものを経験していないので、たぶん稲荷の気持ちが一番わかりません。死んだ方がマシだと思う状況にも陥ったこともなく平和な世に生きているので推測することすら難しい。ただ、滝野が「戦争で死ぬよりマシでしょ?」と言った瞬間、なにを言われたのか認識した途端に強張った頬、かすかに泳がせて陰を差した瞳、怒りと絶望をない交ぜにしたようなあの稲荷の表情はあまりに痛くて、忘れることができません。

わたしの中では彼は、自分の描く理想と現実をうまく共存させられなかったひとというイメージです。本人も言っていたけれど、なりたいものがある(=作家)、けれどそれになれるかはわからない。今の状態だと、自分が書きたいものだけを書けるわけではないけれど、文章、詞、作品を作ることはできる。そこそこ安定した収入も得られる。けれど書きたくないものもある。

あけすけな言い方をすると、社会人ってみんなこうですよね。やりたいこととやりたくないことがあって、やりたいことのためにやりたくないことを我慢するか、やりたいことだけをやるためになにか(たとえば収入や休み)を犠牲にして、やりたいことだけをやれる状況に飛び出すか。稲荷は後者だったわけですが、これ以上魂を売れない、すり減る、という言葉は、やっぱり辛かったです。

好きな音楽だけをやって生活するには、それなりの実績を得ないといけない。そのためには下積みが必要で、下積みをしている間はなにかを我慢することもある。滝野がみんなの先を見据えて行っていたことに必要なだけの我慢を稲荷はできなかった。できないのが悪では決してない。個々人キャパも、なにを辛いと思うかも別だから。滝野は、音楽で給料をもらい生活ができるようになるならコマーシャルソングを歌ったって全然魂が減ったりしない。稲荷は、自身の思い描く書きたいものを書けない状況は魂がすり減る。うん。どちらの感情も理解できる。稲荷は“自身の言葉を紡ぐこと”を求めたのだろうなと思います。

もしかしたら稲荷は、倉庫で言っていたうじうじする、悩める生活に少し近づけたのではないかな。
書かせてもらえるならなんでも書きます、の状態から、これを書きたい、あれを書きたいと思う精神状態に戻ったというか。スレッガー中佐の言っていた、ここに来た頃は夢なんて見ないと言っていた(=戦争の夢を見ていたからそうとは言えなかった)状態から、夢を見ていた、と言えるようになった変化と似ているというか。そう考えると、稲荷が、魂がすり減るとしてバンドを脱退したのはもしかしたら稲荷にとっては前向きな精神状態の変化だったのかもしれないな。立ち止まるまではいかないけれど、少し走る速度を落とせたのかもしれない。

夢を追いかけるために収入を犠牲にするひとなんてたくさんいる。それだけをしていたいひと。自分にはなにもないと言いながら妥協をし続けてきたひとが、こうなりたいと言って今いる環境から飛び出すだけのエネルギーをひとりで抱えられるようになったのであれば、稲荷にとってはそれはそれでひとつのハッピーエンドだったのかもしれないな、なんて思いました。
もちろんバンド再召集のとき麻子に「金儲けができると思って集まったんでしょ」という言葉になにも返せない後ろめたさや、それに対して「カフェガルボがなくなると言われたら…」なんて言い訳ともとれる物言いをしてしまう弱さを抱えている稲荷も、それはそれで彼のひとつの人格なんだろうな。

個人的に稲荷はあれでちゃっかりしている部分も大いにあると思います。
闇市のシーンでは良仲がレコードで揉めて滝野が鉄山に絞られている間に、稲荷はちゃっかりお金も払わずに靴も本もゲットしていて、しかも店主が席を外した店に置いてあったお酒もそっと飲んでいる。挙句の果てにはレコード一枚もしっかり取り戻したりなんかして。
いっぺんに二人もバンドから抜けたらよくないだろうと、瀬田のバンドを辞めないという言質を取ってから自分が辞めることを言いだすところも。
たしか稲荷は次男ですよね。つまり上にひとりお兄ちゃんがいる。かつ、下の弟が家と一緒に炭になっていたので、最低でも四人兄弟(下の弟という言い方をするということは上の弟もいるわけで)。その真ん中ですからね。控えめなところは地の性格としても、上の様子も下の様子も見ながらうまく立ち振る舞っていた部分もあるんじゃないでしょうか。
時代が時代だったら意外と滝野とやんちゃして良仲に苦い顔されるなんてこともあったのかなぁ。悲しい想像でしかないけど。

唯一(とはいえ受け身すぎだろ!!)と思ったのは、辞めるとき突然すぎると言った滝野に「僕はもう何年も違和感を抱えていました。それに気づいていない時点でもう一緒にやっていけないかと」というセリフを聞いたときです。いや、言えよ!わかるかい!とこっそり突っ込みましたが、それを言えないところが稲荷の稲荷たるゆえんであるのかもしれないな。
稲荷先生の作詞した夜は墨染めに関してはまた別途記載します。

 ・良仲一矢
ジャズ好き。ピアニストになりたくて独学でピアノをやっていた。肺の異常で入隊審査に落ちている。
率直に言うと、わたしはたぶん良仲と一番仲良くなれねぇな、と思いました(身も蓋もない)。自分の中のジャズというものに固執していて、それが最高で唯一で正しいと信じていて、それを他者にも求めるひと。それ以外を認めない傾向にあって、ことさら滝野とはぶつかるひとでした。それを貫き通せればもしかしたらそれはそれで職人というか、そういうものになれたのかもしれないけれど、自身の知らない音楽のジャンルを突きつけられた瞬間にプライドが傷つけられ彼の中のなにかが折れたような虚しさを抱いてしまい、結果バンドを脱退する。
裏口での滝野との口論は日を追うごとに熱を増していき、圧巻の一言でした。

―君はまさに、ワンダフル、フライだな!
―ハァ?
―蠅だよ! 音楽に群がる汚い蠅だ!
―光栄だね! 音楽は素晴らしい! それは君が、君たちが、教えてくれたことだよ。その周りをいつまでもブンブン飛び回っていたいよ。それは君も同じだろ?
―似てるけど同じじゃない! 俺は、虻だ! 音楽でひとの心を刺そうっていうプライドがある
―賛成だ! その手助けがしたい!
―蠅と虻が一緒に飛んでるの、見たことあるか!?
(良仲・滝野)

金のことばかり考えているお前と一緒にするなという嫌悪にも似た感情がありありと見えました。感情のまま声を荒らげる良仲と、一瞬カッとなって良仲に掴みかかるもすぐにまたいつもの笑顔になって、持て余した力を逃がすように、自分が掴んだことでぐしゃぐしゃになった良仲のシャツを撫でて直す滝野との対比にもううう、となりました。
良仲はもしかしたら、あとほんの少しだけ知ることができていればもっと全然別の考え方を持つことができたりしたんじゃないかなと思ったりもしました。音楽は自由であるということ、生きていくためには金が必要だということ、滝野は良仲が思っているよりもずっと音楽とバンドメンバーを愛していたということ。そうしたら自身の軸を持ちつつも柔軟性のあるピアニストになれたのではないか、などと思ったりしています。

そしてわたしが一番(こいつ性格悪いぞ!)と思ってしまったのが、大と再会するときです。あれだけ自分の感情を優先して、滝野の言葉を無視して無言で去っていったのに、開口一番「全員そろうなら再結成してもいい」。どれだけプライド高いのか。
そしてマッサーと名乗る新人ロカビリー歌手、大を前にインタビュアーに職業を何度も訊かれ、おそらく自身の現状と大の現状を比べて出てきたのが、大の過去の暴露。端的に言うと幼稚か!と。いやどうあがいても仲良くなれなさそうです。

ただもしかしたら彼は、精神としてはクラシックのひとだったのかも、と今振り返っていて思いました。
作曲者の意図を組み、時代背景を想像し、楽譜に書かれていることを忠実に再現する。関ジャムという番組でわたしが清塚さんに教えてもらったクラシックの精神が、良仲の求めるジャズだったのかもしれない。いやでもジャズはどんどん新しくなっていく音楽、みたいなこと言ってたな……どうなんだろう…。
わたしは音楽に明るくないので当時のジャズというものがどういうジャンルでどういう扱いの音楽だったのかはわからないのですが、彼の主軸にそういう感情があると考えるとなんとなく日本語訳や勝手な作詞への憤りや不満はおぼろげながら理解できるかもしれないとは思いました。
ジャズが聴けなくなるなら死んでもいいと言っていた彼もまた、滝野とは違う形だったかもしれないけれど“自分の中のジャズという音楽”を愛しぬいた男なんでしょう。

 ・芦実麻子
地方の農家の娘。売春婦。うじうじ悩む生活がしたい。本音か強がりかは置いておいて、強い子だな、と思いました。
売春婦仲間たちの間の話で、「なりたいものになれなかったのを戦争のせいにできてよかったね」というセリフがあったのですが、売春婦をしていたことがバレて一様に「そういう時代だった」と麻子をかばおうとするメンバーに向かって「全部自分で決めたことだから。誰かや時代にそうさせられたなんて思ってない」と対比のように叫ぶ麻子に胸が痛みました。
戦争の、時代のせいにしたって誰もなにも言わないでしょう。それなのに、決してそうじゃないと断言する強さと潔さ。物言いが少し強くて勝気な部分もあるためか我儘で勝手な女性に見えるときもありましたが、軽快なステップを踏みながら心底楽しそうに歌う素直さや、自分は辞めるからレコードだけはと仲間のために頭を下げる優しさも持っている可愛い健気な子でした。

彼女に関しても唯一わからないのが、麻子はなにが我慢できなくてバンドを辞めたかったのかということ。
裏口での稲荷とのシーン、稲荷が「辞めてどうするの」と訊いたということは、少なくとも麻子は「辞める」という趣旨の内容を発言しているということで、その後「お金のために歌えってこと? 滝野さんと同じじゃない!」と続きます。
そして滝野が会社を立ち上げた後の屋上でのシーンでは、オニヤンマに酒浸りの状態で歌えるのか尋ねられ「あったりまえでしょ! 何年割り切ってやってると思ってんのよ」と返す。ここ。麻子はいったいなにを理由に辞めようとして、なにを割り切ってバンドのボーカルを続けていたのか。
お金のために歌えって言うの、というセリフがあった以上、稲荷にとっての文学を作りたい欲求とか、良仲にとってのジャズの在り方とか、なににも引き換えにできないこととか、お金をもらったとしても辛抱ならないなにかがあってしかるべきなのではと思うのですが、残念ながら麻子にとってそれがなんだったのかはわからずじまいでした。

「ちょっと英語に耳がなじんでただけだから! 滝野さんだっているし!」というセリフは、ほんの少し劣等感というかそういう感情が読み取れたような気もしたのですが、べつに彼女は音楽をやりたくて歌っていたわけではないし歌手を目指しているわけでもない。
けれどあのときオニヤンマを引き留めバンドメンバーに光を与え、売春婦という職業から彼女を引き上げた歌声で再びあの歌を歌うも、今はその武器は武器にならなかったときには「最後まで頼りない武器でした」と涙ぐむ。麻子はそれを頼れる武器にしたかったのか?「バカみたいじゃない? 歌手でもなんでもないのに調子に乗って歌なんか歌って落ちぶれて、ざまぁみろって思ってるんでしょう」と言うからには、歌で、バンドでトップクラスになりたかったのかな。わからないな。どうなんだろう。

麻子がバンドを辞めたいと思っていた理由はわからないけれど、彼女自身で言えば“自分自身を必要とされる・求められる”ことを求めたのかもしれないなとうっすら思います。

―偉そうにしてる男がさ、涙流してわたしの身体まさぐるの、楽しかったもん! あのときの生きてる実感が、戦争の、時代のせいだったなんて、思いたくないから!(麻子)

あの時代において優位性を持つであろう男という生き物が自分に夢中になっていることへの優越感なのか、必要とされていると錯覚できるからなのかはわかりませんが、この言葉を聞いてなんとなく、麻子はひょっとしたら純粋に誰かのために生きたいひとなのかもしれないな、と考えました。
将校クラスしか相手にしないほどの仕立て屋に服を仕立ててもらえるほどのバンドに成長しても自身の歌に対しては「滝野さんだっているし」と言っていたり「頼りない武器」と比喩したりとずっと自信のない麻子。それと同じくらい、場合によっては自分というものにも自信を持てなかったかもしれない彼女が、なにも持っていない、文字通り裸の状態でひとに求められるというのは、とても嬉しくて愛おしいものでもあったのかもしれません。生きている実感を得るくらいには。
夢が教師というだというのも、ひとに与えられる人間になりたい、ひとを導ける、ついてきてくれるひとがいる自分になりたい、ということでもあったのかな。


 ●夜は墨染めに関して
いや……これを「皆で楽しく歌いたくて作りました」と言える滝野よ………。
二番があまりに暗すぎて絶望すぎてしんどいのですが、「それを歌わずにはいられない気持ち」を大切にした結果なのかと思うとまたずんと重いなにかが胸に落ちます。これを楽しく歌う気持ちは、きっとわたしには理解できないのかもしれないな。

【夜は墨染】
夕暮れは 橙で
群青の夜を待つ
震える声を 頼りに
つまづきながら 先を急ぐ

星は今日も 空に美しく
煌めいてくれるわ
だから わたし膝をさすって
うつむいたまま 歩く

なけなしの おかしみで
笑いあえる友を
目を細めみてるばかり
まぶしさが いたくて

星は今日も どうせ美しく
煌めいてくれるわ
川面に映る姿だけ見て
うつむいたまま 歩く

気がつけば 夜は墨染
しるべも ついと消えて
すがるよに のばした手を
にぎりかえしてくれたのはだれ?

星は もうみえないけれど
煌めきは 覚えてる
ふりはらい こぼれながら
うつむいたまま 歩く

舞台「忘れてもらえないの歌」パンフレットより


1番は主に希望を歌詞から感じます。
頼りにするものがあったり、躓きながらも先を急いだり。
「膝をさすって」は、継続して歩く意思がある。歩こうと思って歩いている。つまり、自分の意志で前を向けているのではないかと。

2番はもう、絶望感が強くてしんどいです。
「なけなしのおかしみで 笑える友を 目を細めみてるばかり まぶしさが いたくて」
⇒そもそも笑うために「なけなし」のおかしみを引っ張り出さないといけない(なけなし=殆んどない、ありもしないの意、わずかしかないこと)。
本当にささやかなものを探し出さないと笑うことができない切なさ。環境なのか自身のせいなのかは不明だけれど、しかもそれで笑っている友人を自分は端から見ているだけ。友人たちが笑っている光景が眩しく見えてそれが痛いだなんて、それを持ちえないものしか抱かない感情なのでは?
つまり、この曲の主人公はなけなしのおかしみすら見つからないのか、そのおかしみじゃ笑えないのか、とにかく笑うことができていないという状況と推察されます。

「星はどうせ美しい」
⇒どうせの意味を調べました。

どう‐せ の解説
[副]《副詞「どう」+動詞「す」の命令形「せよ」の音変化から》
1 経過がどうであろうと、結果は明らかだと認める気持ちを表す語。いずれにせよ。結局は。「どうせ勝つんだ、気楽にやろう」「どうせやるなら、はでにやろう」2 あきらめや、すてばちな気持ちを表す語。所詮 (しょせん) 。「どうせ私は下っ端 (ぱ) ですよ」

goo国語辞書より

 文脈的には、(自分にどんなに希望がなくても)どうせ星は美しいなど、捨て鉢な気持ちを描いている方が当てはまるように思います。
「川面に映る姿だけ見てうつむいたまま歩く」という歌詞から、そもそも空すら見上げままに「どうせ美しい」と言っていることがわかり、歩かないとどうしようもないからとりあえず歩いている感が見えて、明らかに1番より疲弊している気がします。

3番はおそらく希望に転換?
だれかはわからないにせよ握り返してくれたひとがいるし、見えなかったとしてもその煌めきは覚えている。涙を振り払うというのが泣き止もうとする意思表示であれば、またわずかながら進もうとする希望が見えたのかな、と思います。

空に美しく煌めく星はきっとそれぞれにとっての希望で夢で、それを掴みたくてうつむいたままでも歩く、絶望があったとしてもやがて来る希望の始まりを願った歌詞なのではないかな、とわたしは思いました。それにしても2番の絶望感が強くて、わたしはこれは楽しくはたぶん歌えないです。

ストーリー上、麻子の感情が起点にあって稲荷が書いた歌詞ですがバンドメンバー全員に当てはまる部分のある歌。
とはいえ当然実際の作詞は福原さんなわけですが、なにしろ、我らの曲ぞと思って流したらそうではなかったあの瞬間。そのときに流れた歌、上を向いて歩こうとの対比が素晴らしい。 
涙がこぼれないよう上を向いて歩く、おそらく永劫後世に忘れられないであろう歌と、涙を振り払いこぼれながらでもうつむいたまま歩く、忘れてすらもらえない歌。
そしてこの、涙がこぼれながらでもうつむいたまま歩く歌を、顔を上げて笑顔で歌う滝野よ。


 ●先行トレーラーに関して
結論から言うとよくわかりません。
全員タキシードで、演奏するのは滝野、稲荷、良仲、瀬田、曽根川。麻子は上から見ているだけ。
もし過去にあったかもしれない彼らの栄光なのであるならば麻子がいて然るべきだし、滝野の描いた理想や願望や夢だとしても麻子がボーカルだろうし、曽根川でなく大がドラムを叩いているのではないでしょうか。
それぞれの理想をかき集めたものなのかもしれない(麻子は頼りない武器を使わなくても綺麗なドレスを着る生活ができている)とも思ったのだけれど、そうすると稲荷が物書きでなくサックスを選んでいるのに多少違和感があるし…。

妙にセピアがかった色に麻子の言葉を思い出し(※後述)、やはり過去のことであるのかもしれないと考えつつも、先行解禁のトレーラーなのであくまで世界観の演出なだけかもしれないとも思います。しかしみんないい顔してるな。みんながこんな表情のまま生きていければよかったんだけどな。


 ●その他印象に残った言葉

―自分を褒めるのが下手だと疲れるよ(夢の中・滝野の客の男)
わたしはこの言葉に、稲荷のことを想いました。

「稲荷さんは詞がかけるじゃない」と麻子に言われ「褒められたためしがないし物書きに専念する度胸もない。自分を許せる範囲で妥協した結果が、今だよ」と返す。これがとてもつらくて悲しかった。
滝野がクラブガゼルで言った「すごくいいと思う」という賞賛やカモンテの賛辞は、稲荷の中で“褒められた”という認識にならないんだなと思ってしまって。それくらい、稲荷は自分を褒める、褒められた自分を認めることが下手だったんですよね、きっと。
滝野の性格からすると、きっと稲荷の詞が出来上がるたびに大なり小なり言葉を渡していたと思うのだけど(マジックママのときも作詞した稲荷を褒めてやってくださいって言っていたし)、だけどそれらの言葉はなにも稲荷の心には残っていなかったんだなぁ。
稲荷の上手いヘタを差っ引いても、滝野の魂が音楽だということや滝野の言葉は軽んじられている……というと語弊があるかもしれないけれど、心からの言葉だと信じられることがなかったのかもしれないなぁ。滝野が辛いときほど笑う人間だということには気がつくのに、そこ以外は稲荷も滝野のこと、お調子者だと思っていたのかなぁ。つら…。

―お前、なんで歌わねぇんだよ! ていうかギターないし!(滝野)
オニヤンマのバンドの演奏後、ぼくらもやりますよ!と大に促された彼ら。麻子に歌ってくれという表情を向けるも、麻子はぷいっとそっぽを向いて椅子に座ったまま動かなかったときの滝野のセリフです。
怒っているときでも、敬語ではないけど比較的丁寧な口調を崩さなかった滝野がここだけは妙に崩した口調だったのでなんだかとても心に残っています。

―喧嘩別れをした相手の心には、あなたという人間の破片がチクリと刺さっているものです。それは相手が持っていなかった感情で価値観です。その破片はいつか相手の心の中に取り込まれ、そのひとの心を豊かにする。と考えれば、そう悪い経験でもないでしょう。もちろん、逆も然りですよ(記者の男)
滝野も良仲も音楽を愛したという点においては同じだけれど、大切にするものが違いすぎて離れざるを得なかった。そんな彼らではあるけれど、きっと互いの心の中に互いの存在や考え方は刺さったのではないかな、と、そんな風にも思える言葉でした。もちろん滝野と良仲だけに言えることではなく、各メンバーの心にはそれぞれの存在がちくりと刺さっていたんだろうな。

―正直者って残酷だよね/……麻子?麻子じゃない?久しぶり!(コオロギ)
「同情されてるみたいで傷つくよ」というコオロギの言葉になにも返せなかった麻子に対しての「正直者」という言葉だったのかなと思うのだけど、その後再会したときの言葉に、時代というか、心の区切りを目の当たりにした気がした。
切りつけるような強さと悲痛さで麻子に言葉を吐いて別れたのに、久しぶりに会ったらコオロギから声をかけるんだ、というのが最初の感想でした。久しぶりじゃないと笑うコオロギはどちらかというと本当に再会を喜んでいるように見えて、全然種類は違うのだけど、同窓会で何事もなかったように声をかけてくるいじめっ子みたいだな、と思ってしまった。
麻子は歌い始めた頃のまま焦燥感を抱きながら、頼りない武器だけで必死に戦い続けているけど、コオロギはそうじゃない。あの頃、という言葉で区切ってしまえるものに変わってしまった。つまりコオロギの中で麻子はもう振り返ることができる過去で、それこそある種、セピア色で古いジャズでもかかっていたりするのかな。時というものの残酷さが胸に詰まった。

―国破れて山河あり、バンド破れてこの店あり(鉄山) 
国は戦で滅んでも山や川は変わらずそこにある、という内容にあてこむと、(滝野たちの)バンドがバラバラになってなくなってもカフェガルボは変わらずそこにあるというだけの言葉。けれどわたしは、滝野が、自分がいきりたとうと悲しもうと泣こうと笑おうと、ガルボガルボであり続けるし、別に自分が懸命に声を振り絞ってギターをかき鳴らさなくても、音楽は鳴り続けるということに気がつきギターを置くきっかけになった最初の言葉ではないのかな、と思います。鉄山さんは何気なく口にしただけだったのかもしれないけれど、滝野がそうと気づいていたかどうかは置いといて、思いがけず滝野に影響を与えたのではないかな、と。

―人生は振り返るときのみが楽しい。けど、知らねえ奴と振り返ってどうする。人生唯一の楽しみを楽しむために、楽しい仲間がいるんだろ(古物売り)
この言葉があったから、その後麻子をバンドに引き留めて歌を作ろうとしたときの「振り返って思い出話をしてくれるだけでいい」がぐっと引き立ったように感じます。滝野にとって楽しい仲間は、きっと彼らに他ならなかった。
この古物売りとの会話の後のカモンテの歌「あなたとふたり 生まれ直して 場面場面をいつくしむ」も素晴らしかった。重厚なコーラスとカモンテの歌声が会場全体を包んでくれるようで。ある公演ではこのシーンがあまりに優しくて涙が止まりませんでした。滝野もあの優しさになにかが溶けたりどこか救われたりしたのかもしれません。

―それでも信じ続けるしかないだろうね。いつだって信じることのみが救いで、結果に救いはないからね(レディ・カモンテ)
「僕がみんなのためになると信じていたことは一度だって理解してもらえたことがないんです」と嘆く滝野にカモンテが向けた言葉。たぶんこの物語の中で初めて滝野が他者に弱音を吐いた瞬間だったのかな。
わたしはこの言葉を聞いて、なんて宗教に近いのかと思いました。過程でも結果でもなく、信じることそれ自体のみが救いである。けれど滝野に信じろとは言わない。
信じ続けているうちは次の希望があるかもしれない。次の夢もあるかもしれない。願いも叶うかもしれない。すべて“かもしれない”ではあるけれど、信じ続けてる限りきっとゼロにはならない。滝野が再び足を踏み出そうとしたきっかけ。おそらくこの舞台を見たひとでこの言葉が胸に残ったひとは多かったのではないでしょうか。もちろんわたしもそのひとりです。

―空襲の日、ここで会ったよね。君はレコードを守ろうとしていた。それだけじゃない。音楽を楽しむってことを、戦争に奪われないよう抵抗しているようにも見えたよ。そんな君が、レコードを作るって楽しみを、自分で奪うようなマネしないでよ! 君のこだわりは、音楽の素晴らしさの前では無力なはずだ(滝野)
滝野の良仲への情を感じた瞬間でした。あまりにプライドの高い良仲が、レコードの曲を作るという、おそらく音楽をやっている人間であれば一度は夢見る仕事を自ら捨てようとしているときに、それに対して怒りを示すのが滝野なのだな、と。
その後に麻子を引き留める滝野に、観劇したときはどうして滝野がここまでこのメンバーでいることにこだわるのか、なにがそこまで滝野を駆り立てるのか疑問だったのですが、滝野が音楽を愛した日に自分なりの答えが出た瞬間、そらしょうがないかと思いました。音楽の素晴らしさを教えてくれたひとたちだものね。滝野は本当に、このメンバーで音楽をすることにずっとずっとこだわっていたのかもしれないな。信じたいのだろうし、信じると決めたのだろうな。

―離れ離れになった方がさ、さっさと思い出にできるよ。大丈夫。なんだってセピア色で、古いジャズでもかけておけば、いい出来事だったみたいな勘違いができるから(麻子
騙されたのではないかという麻子の言葉が真実味を帯びて店を去ろうとした四人と、それを止めようとした滝野。麻子が滝野を諭すように告げたこの言葉で、四人のいる側だけがセピア色になり、古いジャズがかかる。笑いながら何事もなかったように、じゃあな、またね、と和やかに別れる五人。
実際に五人が別れた瞬間は当然セピア色でもないし古いジャズもかかっていない。むしろかかっているのはあのレコードだっただろう。それでもその瞬間を思い出そうとした滝野の中ではあの別れのシーンはセピア色で、古いジャズがかかる。
あそこはどうだったのかな。(最後に言われたことは)忘れました、と言う滝野は、いい出来事だったみたいな勘違いをすることを拒否していたのかな。なかったことになんてしてやらないという気持ちだったのか。

―いいじゃないですか。忘れてもらえるなら。一度でも光を浴びたなら、たとえ忘れられてしまっても幸せだと思います。歌を作ったんです、この店で。でも、誰にも聴いてもらえないままの歌になりました。僕たちの歌は、忘れてすらもらえませんでした(滝野)
最初の全体感想でも書きましたが、初日のこの言葉でタイトルの意味がわかりました。忘れるためには記憶に残らないといけない。記憶に残るためには聴いてもらわないといけない。けれど、その最初のステージにすら立てなかったんだな、彼らと彼らの歌は。
この時代も、もちろん今も、誰にも見られず、知られず、形にすらならずそっと消えていく作品やコンテンツなんて山のようにあるし、それはもしかしたら失敗で負けなのかもしれないけれど、そのひとつひとつにはきっとこのお話のような物語や感情があって、懸命に生きた証なんだな。
 
わたしの好きな漫画の、お父さんが幼い娘に言い聞かせた言葉を思い出しました。
「誰かが特別悪いことをしたわけじゃなくても、うまくいかないこともあるんだ」。
今回の舞台の登場人物はまさにそうだったな、と思います。
全員の大切なものが違っていて、正義も、守りたいものも違っていて、それが違うことをお互い理解できていないからすれ違うし、うまくいかない。だけど誰が悪いわけでもない。それぞれが自分の大切なもののために生きただけだった。
 
最初に書いた通りわたしはこの舞台から希望を拾うことはできていないのだけど、滝野亘という人間と、彼がかかわった仲間たちすべてのこの先の人生に希望があると信じたいとは思いました。そしてわたしがそう信じること自体が、希望であり救いなのかもしれないなと。


 最後に、安田さんがパンフレットで言っていた言葉。

生きることの熱量や“生きるとはなんぞや?”ということが、見ている人の心に刺さったらなと思います。

舞台「忘れてもらえないの歌」パンフレットより


わたしは恵まれた時代に生まれて、生きていると思います。

生きるためだけに仕事をしているわけじゃない。立ち止まっても死なない。今日の夕飯はなににしようかなって考えることもできるし、今日はどの服を着ようか悩むこともできる。もちろんこしあんのアンパンつぶあんのアンパンもどちらも買えます。生きることだけに必死になったことは一度もない。これからも、おそらくはない。

だけど、うん。たぶん、確かに安田さんの放った熱はわたしに刺さったと思う。
全身全霊で生きることに懸命で、いつだってまっすぐでひとのために生きたいと言う安田さんを見ていると自分の生き様というものを考えてしまう。朝起きてある程度決まった仕事をして家に帰る。そんなのらくらと生きているだけの自分の喉元になにかを突きつけられている気分になる。お前は日々、胸を張って生きているかと安田さんに問われているような、そんな。

生きるとはなんぞや。滝野を通して安田さんから届いたメッセージは、そっと胸に留めておく。


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